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自分にご執心

自分に罰を与えるように自らを追い込んでいく。
暗い考えをずっと持っていく。
陽の光を浴びてはいけないというかのように。

でもそれはエゴではなかっただろうか。
不甲斐ない自分にこうして罰を与えていますと
誰に対してでもなく言うことで許しを得たかったのではないか。

不甲斐ない自分を不甲斐ないままで終わらせてはいませんよと
言い訳をすることで自分を罪から逃れさせようとしていたんじゃないか。
罰を与えることで罪から逃げていた。
「罪」と言うことで罪から逃げていた。
本当は罪なんてものはないだろうに。

誰でもない誰かへの言い訳。
誰かに許してもらえるような「自分」でありたかっただけ。
でも本当は自分で自分を許すため。
どこまで行っても、自分。自分。自分。

自分に罰を与えることは誰かへの義理を通すためと思っている。
でもそれは本当は自分を生き永らえさせたかっただけじゃないのか。
不甲斐ない自分を受け入れられないから。
そしてまた、受け入れられるようになるには、と考えている。
どこまで行っても、自分。
こんなことをずっとやっている。
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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(2) | 2012/10/24 22:19

このむなしさをどうにか

たまに学者や作家(特に仏教に深い造詣を持った)の書くものを読んでいると、
現代人は自分探しに躍起になっているが
自分の中に自分を探してもそれが見つかることはない、
というような文章をよく目にする。

この考えには僕はまったくもって賛成だが、
一方で自分探しをせずにはいられない気持ちもよくわかる。
自分探しという言葉は嫌いだが結局僕がしているのも
それに他ならないのだろうから。

先輩方の世代ではまだそういう発言自体が稀だったろうから
そういう発言は必要だったのだろうけど、
その後を生きていく僕らの世代としては
もう一歩突っ込まなくてはならないのだから・・・
とひねくれたことを考えたりもする。

僕ははっきり言って、
今の「自分として生きるべき」という風潮に対しては、
嫌悪感に近い違和感を覚える。
それは先輩方の言う通り、
「自分」を中心にしている限り
いつまでたっても納得することができないからだ。

自分を成長させてそれが一体何だと言うんだ。
自分を豊かにしてそれが一体何だと言うんだ。
僕の頭の中では絶えずこんな声が響いている。

目の前に現れてくるものによって心を振り回され、
幸せだと思ったりやっぱり苦しいとか思ったり
うれしいと思ったり悲しいと思ったり、
そんなことを盲目的に何度も繰り返しながら
その内に死んでしまうなんてむなしすぎるじゃないか。

自分の目の前に現れてくる物事にきちんと「出会う」には、
自分の中に中心を持たなければならない。
絶対的なものを持たなければならない。
相対的なものに拠りかかってもフラフラ揺れるだけだ。
でも現代人には神を信じることは容易にはできない。
自分に都合の良い「神」を持つことができても
それは相対的なものにすぎない。

やっぱりなんとしても自分という「存在」や「人生」を
貫き支える心棒がなくてはならない。
僕にはこの問題をどうしたらいいかなんてわからないが、
方向としては「自分として生きる」ということを
考えていけばいいんじゃないかと思っている。

最初に否定しておいてなんだが、
今の「自己尊重」の風潮は方法が間違っているだけで、
方向としては間違いではないと思う。

自分を大切にして自分らしく生きることは、
それが自分の快になるから推奨すべきなのではなく、
それが人間の道理なのだから目指すべきなのだと思う。
従うべきなのだと思う。
最近そう思うようになった。

なぜそれが道理なのかには理由はない。
下手に理由を挙げればこじつけになってしまう。
でも人間が自己を開発しその都度創造して生きていくのが、
この世界に生きる存在としてのあるべき姿なのではないか
というちょっとした実感が生まれつつある。
この方向で間違ってないと思う。

だから現代人がすべきなのは、
自分探しをやめる方法を探すというよりも、
自分探しをせずにはいられない気持ちと
すべてをむなしいと思う気持ち、神を求める気持ち
とが交わる点を探すことだと思う。


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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/22 20:37

好きで悩んで

2009年12月9日

『「僕は何のために生きているのか」

 そう考えることによって一つの方向に向かって進めていた。
 じゃあそう考えなくなったらどうなるのか。

 僕は好きで悩んでいるのではないか。
 そう思うことはよくあった。』


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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/20 20:44

誰かのためだと思うと生きられる

2007年1月9日

『やっぱり○○さんが言う通り、
 人間は自分のためには生きられないと思う。

 自分をどうしようとか、
 自分の人生をどうしようとか、
 確かにそういう考え方でもやる気は湧いてくるけど、
 どこか物足りなさを感じる。

 やっぱり、自分のためじゃなくて、
 誰かのためだと思うと生きられると思う。

 生きる意味に取り憑かれてしまうのは
 周りが見えなくなっているからかもしれない。
 意外と自分なんてそんなに気にしなくてもいいのかもしれない。』


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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/14 21:16

空虚を空虚のままに、それでも

2008年6月19日

『何かをしたい。
 けど何もしたくない。

 仕事にしろ、勉強にしろ、趣味にしろ、
 それらをしたところでなんになる。
 もっと大事なことを見つけたい。
 人生に形を与えるようなものを見つけたい。

 でも、そんなものがないのはわかっている。

 だから何もできない。

 僕はこの空虚を受け入れないといけない。
 空虚を空虚のままに、それでも楽しく生きていけるように。』



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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/23 20:54

宇宙空間の不安

世界の中に自分しかいないのなら
自分や自分の人生というものは、一体何に裏書きしてもらえるのだろう。

足場もなく上も下もない無重力の宇宙空間を漂い続ける
(漂っているかどうかを確かめる物差しすらもない)ことに
不安を感じないわけがない。

                    2007年11月14日


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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/04 22:17

自分の中にひきこもること

自分の中にひきこもっていると空しくなる。

自分の知識や才能、技術を磨いたところでいったい何になる?
という風に。

だからこそ、他者を求める。
でも実はそれは単なる現実逃避にすぎない。
それはそれでいいことではあるだろうが。

他者を求めるといっても、結局それは自己のためだ。

                    2007年11月9日


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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/01 22:17
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