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自分を客観的にみる

たまに自分を客観的にみられるときがある。主に寝起き時に。
自分をふり返ってみて色々思うことがある。
今は寝起きじゃないから客観的にはみられないけど。


素直に神様を信じられたらどんなに楽か、とたまに思うことがある。
僕には神が信じられないんだ。
目に見えないものを信じられるか、とかそういうことじゃなくて、
神に頼ろうとする己の心に、ある種の汚らわしさを感じるから信じられないのだ。

ここでいう神を信じるというのには、色々な意味が含まれてるけど、
「すべては上手くいっている」とか「すべてのことには意味がある」というような、
「神の意図」に関するものを特に指して言っている。
あとは、「この世に正解はある」というような「絶対性」の問題も僕の中では大きいかな。

「神を信じる」というと、どうも、不安定な自分を肯定するために神に寄生しているような気がして、
そのあり方自体に拭いようのない違和感を覚えていたんだと思う。
今表現するとそういうことになる。

簡単に言ってしまうと、僕は不安でたまらなかったのだ。
自分という存在がぽっと出のようなものに思えて、そうじゃないという理屈を必死で探していた。
人に言われてそうだなぁと納得するのではなく、
自分で考えてみて、もうどう考えても僕はぽっと出の存在じゃないんだなと。
最初は自分を肯定するために考えていたけど、そういう魂胆抜きにしても、
これはもう僕の存在には意味があった、僕は生きていてもいいのだ。という結論を出したい。
そんな思いがすべての原動力だった。

不安だから神に頼る。不安だから絶対に頼る。不安だから正解に頼る。
自分一人では立てないから、「立っていいんだよ」というお墨付きを欲した。

でも、同時に、その「逃げ」にやましさも感じていた。
「頼る」という行為に弱さを感じたというよりも、もっと根が深い問題。
「頼っては立てない」「頼るというあり方は間違っている」という、直感。
何の根拠もないけれど、「それは間違っている」ということだけは「わかっている」。

この「わかる」というのがやっかいなのだ。
「1+1=3」と、どう頑張ってもそれを本気で言えないのと同じで、
「違う」と思ったものに対しては、どうやっても本気で取り組めなくなるのだ。
つまり、「神を信じるのが違う」と思ってしまったら、もう神を信じることはできなくなるのだ。
どんなに神を信じたくとも。

僕が神を信じることができないというのはそういうこと。
神がいるとかいないとかの話ではなく、神に頼りたがる自分の心に非を認めてしまったからなのだ。

それが僕の人生を大きく変えたんだなぁと改めて思った。
変わったと言っていいかはわからないけど。

あと、不安、不安と言ってるけど、別に不安になるようなきっかけなんてなかった。
不安になっていったというよりも、不安(定)であることに気付き始めたと言った方が近い。
なんというか、先が見えてしまったのだ。
なんやらかんやら今と同じようなこと何十年か続けて、そのまま死んでいくんだな、と。
そう思ったときに、とてもこのままじゃ死んでいけないと思った。
「何かが足りない」「まだ何かをしていない」という強烈な思い。
でも、その「何か」の正体がわからない。

この感覚はさっきの「ぽっと出」とも関連してる。根なし草。根をはっていない。
「生きていない」。

「何かをせずにはいられない」という焦燥感。だってまだ「生きられてない」のだから。
でも、同時に存在する、「何をしても間違いだ」という感覚。
神のときと同じ。
この「間違いだ」は、決して揺るがない直感。
「何かをせずにはいられない」という感覚の正体は、
「何か」をすることによって自分を肯定しようとしている、
自己放棄的で依存的なあり方であって、それは「間違っている」という確信。

まるで空いた穴を「何か」で埋めようとしているよう。
「自分」を形成する上で欠けてはいけないはずの「何か」が欠けている。
決定的に欠けている。
それがないから「自分」が完成しない。
完成していない「自分」を引きずって、彷徨って、泣き喚いて、うな垂れる日々。
そして、「そんな自分が間違っている」という揺るがぬ確信。

それがなぜ「間違っている」のかについては一応説明しようと思えばできる。
でも、そんな理屈を超えて、まず直感があって、
その直感が心の中心にずっと居座っているのだ。

この直感が僕の人生においてかなりの影響力を持っているのだなとしみじみ思う。
そう。この話の根本にあるのは、「僕はどこに向かえばいいのか」という問いではなく、
「僕はこういうものを持っている」という自己の再認識。
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いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/01/24 23:04

今さらこの身が惜しいものか

“いまここ”

また問題を抱えること、
考えることで自分を保っていた。
しがみついていた。

“努力すること”
“ステップアップすること”
“成長すること”
“着実に歩むこと”
“誠実に生きること”
“問題意識を持つこと”
“探究すること”
“自覚的であること”
“自己を律すること”

こんなものは手放してしまえ。
自分が自分でなくなる、
それくらいのところを通らなくては意味がない。

“自己だけは譲ってはならない”
これには表の意味と裏の意味がある。
世間では表の意味しか言わない。
言わなくていい。

“絶対に譲ってはならない最後のもの”
それを譲るからこそ意味がある。
「譲る」だけではない。
「譲ってはならないものを譲ってしまう」ことに意味がある。
だから世間では表の意味だけを言えばいい。
それを越えるかどうかは個人の問題。
僕はそれを越える。

今さらこの身が惜しいものか。
もうあと一分一秒も生きていたくない。

“僕は越えるんだ”
“はて今日は何月何日だったかな”
“ここは自宅か”
“はあこういうタイミングか”

“越える”というそのことをも自己の所有物としようとしている。
自分にとっての記念日にしようとして
縁起物を探すこの心。
“劇的なもの”“運命的なもの”“必然”
結局お前もそういうものが欲しかったのか。

あと一分も延命したくないと言いながら、
“越える”にあたって今日このタイミングでいいかな、
などと考える愚かなこの心。
「『小石が竹に当たった音を聞いて悟る』
 とかならちょっと格好もつくが、
 『くしゃみした拍子に』とかは嫌だな。
 『自分のいびきを聞いて』なら『逆に』趣もあるかな・・・。」
などと。

結局損得勘定だ。
“欲しいものよ来い。欲しくないものは来るな”

“いまここ”というのは単なる慰めの生易しい言葉ではない。
本当の意味で“いまここ”に徹するというのは、
何も求めない。何も選ばない。ということだ。
単なる肩の荷を降ろさせるための呪文ではなく、
“己”を殺す意志の炎だ。

好きなタイミングがくるのを待っているうちは一生そのままだ。
例え、髪を紫に染め上げたおばあさんが目の前を歩いていようと、
いつも見慣れたくだらないCMを見たことをきっかけに悟ろうと、
すべてを受け入れて徹するのが本当の意味での“いまここ”だ。
いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/03/25 14:29

カーナビ歩き

わざわざこちらから探しに出かけなくても向こうから何でもくる。
それに一喜一憂しているわけではあるが。

救いを求めてあちこち探しに回っているが、
何を探しているのだろう。
何を得れば満足するのだろう。
いまいちピンとこない。

何かが足りないのではなくて、
「何かが足りない」と感じる心が常にあるのだろう。
だからといってどうしようもないが。

自分を探しに行くことで自分を見失っている。
探しているのが自分なんだろうけど。
念をあちこちに飛ばすことによって今をお留守にしている。

「歩く」にしても、
僕が地図上の座標を移動するのではなく、
地図の方が移動してくる。
カーナビのように。
僕は常に中心にいるはずなのに、見失う。

「歩く」というのは、
ただ前に進むエネルギーを持っただけのその場での足踏みだろう。
空気の抵抗を感じるだけの。

僕は常にここにいるはずなのに
意識だけそこら中に飛ばして。

疲れたから脱力に徹しよう。
頑張っているときは身体が固くなって呼吸が浅い。
腹の底まで外界の精気を通さないと。
いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(1) | 2012/03/15 19:38

継続ではない

すぐ継続しようとする。
すぐ途中にあるのだと思ってしまう。

ここにおいてもう過去は完結しているんだ。
ここにおいてもう未来は決定しているんだ。

わざわざ持ち越す必要もないし
わざわざ乗り込む必要もない。

現在は単なる通過点ではない。
生命は単なる儚いものではない。
続きで考えるから今をいつまでもあるように受けとってしまう。
今において既に死に既に生まれ変わっている。

「このまま生きていてもしょうがない」
そういう所にいつもいるように心がけないと。
すぐに横道に逸れる。

このままで生きていくのだとしたら
あと1分生きようと100年生きようと同じことだ。
世間に対してはどうでも、
己自身に対しては恥ずべきことだ。

何を残そうとそんなものはいつか消えてしまう。
あってないようなもの。
そんなものに浮かれて時間を潰すくらいなら
消えないものを今すぐ掴め。

何も今が嫌だから別の人生を求めているわけではない。
今でも別でも何でも、
とにかく一度死んで
「自ら」生まれてこないことには話にならない。
それでもって初めて「人間」だと言える。
いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/01/25 20:07

“本当は せつない夜なのに”

少し以前のこと。
何のきっかけもなく突然JUDY AND MARYの曲が聴きたくなった。
特別この人達のファンでもなかったのに、
当時の少年時代の自分が妙に思い出されてきて感極まった。

『るろうに剣心』というアニメが好きだった。
その主題歌でもあった『そばかす』という曲の中の
“本当は せつない夜なのに”
という部分を聴くとなぜか泣きそうになる。
歌詞の意味とはあまり関係なく。
他にも懐かしくなぜか泣けてくる曲がたくさんあった。

そのときの感情をメモするような感じで携帯に書いておいたので
滅茶苦茶な文章だが、一応そのままで書かせてもらう。



わけもわからずとりあえずここまで生きてきました。
明日死のうと数十年後死のうと生まれてすぐ死のうと同じなのに。

時間を超越してこの音、
甦る幼年期の甘えた気分がありがたく。

いつか死ぬのに。
どんな経験をしようとやがて死ぬのだから同じなのに。
何年で死のうと。

時間を超越して与えられた感動。
よく生きたと。
それは継続に対するものではなく、
時間を超越したもの。

生そのものを肯定してもらえたような。
肯定も時間も幸福も神も自分もないようなところで感動、
とにかくかなしいようなありがたいような。

いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/12/11 14:48

苦しくても僕の人生じゃないか

僕が間違っていた。

目の前に壁のように立っているこの問題を解決しない限り
人生を楽しめないと思っていた。

でも例えそれを解決できたとしても、
僕はどうせ完全に自分に自信を持つなんてことはできないのだろう。
どうせ人生を楽しく生きることなんてできない。

“あれさえ解決できれば”、
そう思うことで僕はそれに囚われていた。

結局僕も“こんなのは本当の人生じゃない”
と思って生きていたのだろうか。

現にある「今」をひたすら否定していく哀れな人生。
いつか来ると信じる「楽しい人生」を夢に描きながら
眠気まなこで生きていく現実。

苦しくても僕の人生じゃないか。
それは成長へと繋がるから尊いんじゃない。
いつか実を結ぶから尊いんじゃない。
僕の人生の一部分だから尊いんだ。

どんなに恨めしく思っても
これが今の僕を構成しているのだから大切にしないと。

苦しみを大切にすることなんてできない。
苦しみを楽しむことなんてできない。
でも苦しんでいる僕自身なら大切にすることも楽しむことも出来る。
いま・ここ | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/07/19 21:18

必ずしもその人が幸せかどうかはわからない

2009年6月12日

『何も決まっていない。自分次第。
 自分で生きていかなくてはならない。
 他にない。

 あの人は楽そうでいいなあ、とか思う。
 あの人は○○で苦労なんかしていないだろうなあ、
 あの人には僕の苦しみはわからない、とか。

 でも、必ずしもその人が幸せかどうかはわからない。
 僕が勝手に楽だと決め付けているだけだという面がある。

 そう思うことによって、僕は自ら苦しんでいる。
 あの人のような楽なあり方、というのが、
 僕の人生の選択肢の中にあると思っている。

 だから、それに憧れたり、羨ましがったり、妬んだり。

 僕にそんなあり方はないんだ。
 今ここでは。
 今ここでのあり方が本当だ。

 他に選択肢があるならそっちへ行きたいと思うのも仕方ないが、
 他にないんだ。
 あると思うのはまやかしだ。
 ありもしないものを望むから苦しむことになる。
 それならとりあえず今のこれを生きてみようじゃないか。』


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いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/26 20:22

与えられたものに目を向ける

2008年4月13日

『本当のことを言えば、もし、なんてものはあり得ない。

 今起こっているものがすべて。

 だからこそ、
 その与えられたものにもう少し目を向けようと思った。』


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いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/22 21:09
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