スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

語ることをやめて じっと、こらえているんです

再び相田みつをさんの詩を。

最近紹介ばかりになっていますね。
最近で日記に書こうと思うようなことは
あまりブログで公開できるようなものじゃないので、
まぁ、しょうがないです(笑)



『憂』

むかしの人の詩にありました

君看よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり

憂い……が無いのではありません
悲しみ……が無いのでもありません
語らない、だけなんです
語れないほど、深い憂い―だからです
語れないほど、重い悲しみ―だからです

人にいくら説明したって
まったくわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと、こらえているんです
文字にも、ことばにも
到底表せない
深い憂い―を
重い悲しみ―を
心の底深く、ずっしり沈めて
じっと黙っているから
眼が澄んでくるのです

澄んだ眼の底にある
深い憂いのわかる人間になろう
重い悲しみの見える眼を持とう

君看よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり

語らざれば、憂い無きに似たり
・・・・・・・・ ・・・・・・・・
・・・・・・・・ ・・・・・・・・




「人にいくら説明したって…」
のところが好きです。
最近はこの「じっと・黙って・こらえる」イメージに励まされます。
己は己が生きるしかありません。
誰も肩代わりはしてくれないのですから。

誰にわめき散らしても
誰によりかかっても
誰に未来の自分を重ねても
己は己で生きることに変わりはないのですから。
またそこにこそ喜びがあるのでしょうが。
関連記事
スポンサーサイト
好きなことば | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/25 21:15

相田みつをさん

相田みつをさんの作品を。


img_1467842_60204299_0.jpg

06_06_01.jpg

f0006253_190035_convert_20110824220447.jpg


2、3年前に相田みつをさんの作品はいいなと思うことがあったが
それ以降は見る機会がなかった。
この間偶然見る機会があったが、やっぱりいいなと思った。
当時は思わなかったが、こんなに仏教的な人だったのか。
仏教的な作品がたくさんあった。
調べてみると、やっぱり在家で参禅されていたようだ。

画像は見つからなかったが、

『一番大事なものに 一番大事ないのちをかける』

というのもあるようだ。

この人の作品では『人間だもの』とか『そのままでいいがな』などが有名だが
これは単なるヒューマニズムというか、「人間よしよし」というものとは違うと思う。

失敗したときや物事が上手くいかなくなったときにだけ
都合よく「それでもいいんだよ」と言うものではなくて、
失敗しようと成功しようと関係なく
人間の根源的な愚かさ弱さを引き受けて、じっと黙って生きていく、
という姿勢のものだと僕は思う。

悟りすました人に「君、頑張らなくてもいいんだよ」と言われるよりも
「自分は駄目だなぁ、もっとこうしないと」と己と真摯に向き合っている姿を
側で見せられる方がきっと力になる。心を洗われる。
みつをさんの詩はそういうものだと思うから
きっとなんだかんだで人気があるんだと思う。

関連記事
好きなことば | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/08/24 22:39

なすべき目的がないなら、どうして命を大切にすると言うことができよう

駒澤勝著 『目覚めれば 弥陀の懐』 という本を見つけた。
著者は小児科医らしい。
気になるところがあったので紹介させてもらう。
仏教の本だが、ここでは仏教に触れないので仏教嫌いの方はご安心を。


『加えて、この種の質問や問題提起は、人生をいかに豊かに、快適に生きるかの
 視点から起こるもので、人は、人生を(快適に)生きて、その上で一体何をすべ
 きかの視点が欠けている。
  平素私たちはさまざまな問題に立ち向かいながら、皆あくせくと一生懸命生き
 ている。人生を快適に、豊かに、長く生きることには全精力を費やしているが、
 多くの人は「一体何のために生きているのか」、あるいは「生きている間に一体
 何を為すべきか」についてほとんど何も考えず、全く問題にしない。』

『見受けるに、大多数の人がさまざまなパン(注:生きるための)を食べて、その上
 で何をすべきかを知らない。問題にもしない。
  確かに私たちが生きるには、さまざまなパンが必要である。健康以外にも、衣
 食住から始まり、政治も経済も、教育も道徳も、産業もレジャーも、平和も必要
 である。場合によっては戦争さえも避けて通れないことがある。科学も、芸術も
 そうである。環境学も、工学も、商業学、農学、社会学も歴史学も、生きるため
 には、みな必要である。
  でもこれらはすべて、自分や他人が生きるための手段であって、決して目的
 ではない。やはりパンに過ぎない。「他人のためになる仕事をする」「夢をかなえ
 る」「それが目的だ」、などと言うのを聞くことがある。でもその仕事や夢も、たと
 えそれが世界平和の達成や、大政治家、医学的大発見、第二のイチローであ
 ったとしても、ほとんどは言うなれば自分や他人のためのパン、つまり手段であ
 って目的にはなっていない。
  どうやら私たちは、ただパンを作るためにのみひたすらパンを食べ、パンを食
 べるためにのみひたすらパンを作り続けているようなものである。パン作りとパ
 ンの交換、パンの分配には随分長けてきたが、パンを食べて何をするかは、少
 しも問題にしていないことになる。』

『よく「命を大切にする」と言うが、それには二つの意味があると思う。一つは自殺、
 他殺はもちろん、健康を害するものを避けるなどして命を長く保つということ。も
 う一つは命を有効に使う、意義ある人生を送ることである。後者こそ本当に命を
 大切にすることになると思うが、もし生きている間になすべき目的がないなら、
 どうして命を大切にすると言うことができよう。「生きていなければこれこれのこ
 とができないから、命が大切だ」と言うのならわかるが、生きて特別何もするこ
 とがないなら、いくら命を長らえても命を大切にするとはいえないはずである。』


以上、問題の出発点が僕と同じなのでブログに書かせてもらった。

僕は仏教に興味を持っているが、それでも仏教の本はごく一部しか読まない。
書店には仏教の本が意外にたくさん並んでいるが
心が軽くなろうが、楽に生きられようが、苦しみがなくなろうが、
そんなことは僕にとってはどうでもよくて、二次的で、
そもそもそれ以前の「なぜ生きるか」を問題にしてくれないので読む気にならない。
(本当の宗教とはそんな小手先のものじゃないはず)

為すべきこともないのに
「幸福になった」「成長した」とはしゃぐ気にはなれない。
自分を喜ばせて、そこから「何を為すか」という問いが出てくるのに
多くの人は自分を喜ばせたその時点で満足してしまう。

案外同じような悩みを持っている人がいないようだから、
この本を見つけたときはちょっと安心した。
関連記事
好きなことば | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/22 22:40

己を全うすること

今自分がしようとしていることが少しクリアに見えてきた。
内側からの要求の話だが。

例えば「あ」という文字を
「あ」と認識され得る構成パターンに沿って線を配置するのではなくて、
僕は僕の「あ」を描きたいのではないか。

パターンにしたがって書くのではなく
「あ」と読んでもらえるように整えて書くのではなく
己の「あ」を創り出したい。

“僕だけの”なんてことは当たり前すぎてわざわざ言うまでもない。
僕には僕の「あ」を描く以外に選択肢はない。
それがつまり人間として生きるということ。
「自己になる」ということ。


悟りを開いた人が偉いのでもないし
何も考えないで生きている人が劣っているのでもない。
人それぞれ時期ごとに課題を持っている。

自己を生きるのが何より尊いと信ずる。
それ以外に善はないと信ずる。
己の課題から目を背けることが何よりの悪だ。
苦しみの根もそこから生まれる。

100メートルを9秒で走るのを課題にして生きる人もいれば
20秒かけて走るのを課題として生きる人もきっといる。
それが己に与えられた自己ならば
タイムの差に価値の差はない。
それぞれが独立して尊いはずだ。

自分の課題は自分にしか実現できない。
自分の課題の困難さは自分にしかわからない。
ひたすら歯を食いしばって黙って生きるのみ。
関連記事
人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/16 16:21

2010年の僕は・・・

最初の頃のこのブログは、過去に書いた日記(オフライン)から抜粋したものを
メインにしてブログを書いていた。

でも2010年のものだけは書いてこなかった。
大して長いこと生きたわけでもないが、
僕のこれまでの人生の中で一番辛かったと思う年が2010年だったからだ。
あまりにもネガティブなことばかり書いていて
読むときっと悲惨な気分になるのがわかっていたから
とても振り返る気にはなれなかった。
(今年は初めは調子が良かったが段々去年と同じような感じになってきた)

それでも、特に理由はないがなんとなくで去年の今頃の日記を見てみた。


2010年7月11日

『最近ずっと眠れない。
 この自分の意識というものが嫌でしょうがない。
 とめどもなく流れていく考え。心の声。
 別に何かを考えようとしているわけじゃない。
 それなのに気が付くと何かを考えている。
 
 朝起きて思う。
 ああ、また僕なのかと。
 また僕をはじめなければならないのかと。

 この心の声が嫌だ。
 この意識が嫌だ。』

2010年7月24日

『罰を受けている感覚。
 世界が崩壊していくなら黙ってそれを
 受け入れなくてはならないというような感覚。
 どんな苦しみも黙って味わわなくてはならないという感覚。
 それに反抗する権利すらも保証されていない感覚。
 一人で世界に立ち向かう、いや、世界のために罰を黙って受けている感覚。
 一対世界。

 僕のやることなすことすべて世界に監視されていて、
 一歩もそれらの要求からはみ出てはいけない。

 僕が自分でいることに対して不安を感じるのは
 単に世界に背いて自分を出すのが怖かっただけ。
 僕の倫理は結局それ。
 世界の奴隷をやめていいのかどうかということ。
 その責任を放棄していいのかと。』

2010年8月9日

『ふと我に返ったときの感覚が嫌でたまらない。
 使い古した自分。
 汚れた自分。
 脱皮したいのか。
 古い皮が窮屈でたまらない。
 そんなものは脱ぎ捨てて何にもとらわれなく生きたい。』

2010年8月23日

『自分の世界観を創っていかないと。
 食うために働く、なんてのに納得できるわけがない。
 なんのために食うのかがわからないからだ。

 生まれたからには何かを為さなければならないじゃないか。
 そうじゃないと納得できないじゃないか。
 そう思うのは別に間違ってないんだ。

 せっかく人間として生まれてきたのにつまらん形で終わらせては申し訳ない。
 自分のためになんか生きられない。
 その理由が見つからないからだ。
 世界に望まれているから生きるんだ。
 期待してもらっているからだ。
 そしてそれが結局自分のためなんだ。』


意外と今の僕と同じようなことを書いている。
季節によって感じること考えることに基本的なパターンでもあるかのように。

それにしても、自分の誕生日付近くらいもう少し明るく過ごせばいいのに(笑)
そういえば何年のものだったかは忘れたが、
誕生日当日の日記で、ものすごくマイナスなことを書いていた。
それは友人や恋人に祝ってもらえなかったとか
そういう負の出来事があったからというのではなく、
何にも外的な理由がないのにそういうことを書いていた。
「こいつも誕生日くらい明るく過ごせよな」
と少し自分を哀れんでしまった(笑)
関連記事
つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/13 15:09
 | HOME | Next »

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。