スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

叶わない

自分自身やあるいは自分の子どもか親が
病気などで死にそうになっている。
そのときその人は真剣に祈るだろう。
何とかしてくださいと。

それでも人は死んでいく。
そんな切実な願いでさえ叶わないのに
僕の願いが叶うわけがない。

人間というのは、叶わないものを願い続けている。
一体人間というのは何をしているのだろう。
その一生とは。
関連記事
スポンサーサイト
人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/29 14:18

報われるのだろうか

今年一年をざっと振り返ってみて、
はっとすることがほとんどなかったなと思う。

小さなものでもはっとできたとしたらそれは幸せなことだと思う。
そういう驚きは生活を明るくしてくれる。

僕ははっとすることがなかったこの現状を振り返ってみて
残念には思うが反省はしていない。

もうそういう小さな驚きに振り回されるようなところへは行かないで、
その驚きを犠牲にしてでも行かなければならないところへ行こうとしている。
そういう自覚があるから。

でも本当のところはわからない。
本当にこの道でいいのだろうか。
そういう思いもある。
僕は報われるのだろうか。
それが気になる。


*付け足し
上の文面だと、僕が驚きを切り捨てているように感じるが、
なんのことはない、ただ驚きがやってこない今を不満に思っているだけだ。
不満だから、これでいいんだと思いたかった。
驚きが欲しくてたまらないのが正直なところだ。

関連記事
つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/27 21:05

自己の欲深さを知る

期待をするから絶望する。
絶望するのは期待をしたからだ。
期待をやめろという話ではなく。

絶望したときにはじめて自分が期待していたのだと気付く。
その期待の目で世界をみていたのだと気付く。
その目は自己中心の目。

壁にぶつかって歩みを止めざるを得なくなったとき、
初めてこちらから期待の手をあちらに伸ばしていたのだと気付く。
そのはね返りにより、自己の欲深さを知る。

おそらくそこに真理がある。
でもそれがなかなかわからない。
関連記事
「自己」を見つめる | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/12/15 17:46

“・・・。で、何?”

誰にでもあることだと思う。

ずっとやりたいと思っていたことができるようになったり、
ずっと欲しかったものが手に入ったりしたとき、
嬉しさでいっぱいになるが、
やがてはその波が引いていく。

手に入らなくて愚痴を言ったりした。イライラした。
でもやっと手に入ったと思ったら次はなぜかむなしくなった。
それを求めてきたこれまでは一体何だったのだろう。

この感覚は一体何なのだろう。
誰にでもあるこの感覚。

平和も健康も自由も素晴しい。
人間は大いにそれを求めるべきだ。
でも同時に人間にはそれをもって満足とさせないものがある。

平和である。健康である。自由である。
“だから何?”“それで終わり?”
必ずこう言う声が誰の中にもある。

皆それぞれ各々異なった境遇を生きている。
そのバラバラな人間達が何をもって
「同じ人間だ」と言い得るか。
どの一点でそれを押さえるか。

一つは人間は皆死ぬということ。
そしてその死の前では皆無防備であること。
絶対的な受身的存在としてあるという一点。

もう一つあるとするなら、
前述のむなしさではないか。
誰もが“これで終わり”と言い得ないものを持っている。
人生に満足するものを持ちあわせていない。
そういう存在として生きている。

そこを押さえないで「皆同じ人間だ」と言ってもただの理想論に終わる。

“だから何?”この声はどこから出てくるのか。
何がそう言わしめるのか。
自分という人間はどこにも足場を持てない存在なのではないか。
そしてだからこそそこに唯一の「人間」としての足場があり得るのではないか。
なんとなくそんな風に思う。

関連記事
人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/11 21:28

言い当てられたい

世間一般と自分とのズレについて。整理も兼ねて。

苦しみとは何か。癒しとは何か。
よくある自己啓発本の目指すところは、
不幸にも失ってしまった意味を回復する、だと思う。

“こういう考え方をしたらどうですか?”
“視野がせまくなっていませんか?”など。

世の中や人生に価値を見出せなくなったのは不運な出来事か
もしくは自分の視野の狭さがもたらしたものであるから、
それを調整しようと。

でも僕がそういう本を読まないのは、
価値を見出せなくなるのは不運なことだが、
それは人間として当然いたるべきものではないかと思うから。
“価値がない”という前提で考えたい。

でも僕も中途半端ではあった。

僕の頭の中を占めるのは、“僕はこれでいいのだろうか”という思い。
これは結局、フラフラ足下が覚束ないのが嫌で、
何か支えとなるようなものが欲しいということ。
「正しい」「間違っている」ととにかく言い当てられたい。
とにかく言い当てられたい。そうすると自分の立ち位置が定まるから。

でも最近思うのは、
どんな立派な人から“こう考えればいいよ”と言われたところで、
僕の芯には響かないだろうということ。
外側からどんなものを与えられても、こればっかりはどうしようもない。

僕の求道(?)のスタンスは間違っていた。
“僕はこれでいいですか?”ではない。
これでいいも何も自分の思うところをするよりしょうがない。
壁に当たるまで進むしかない。
今までのようにこちらから壁を探して事前に回避していたのでは駄目だ。

最近自分は色んなものを押さえつけていたんだなと思うことがある。
自然に任せて出すべきものを押さえつけている。
ただこの自然というのが本当に難しいものではある。
関連記事
人生観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/07 22:06
 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。