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志半ば

真理真理とやってきた。
真理を掴まない人生には何の意味もないと思った。
このままではとても死ねないと思ってやってきた。

でも最近になって志半ばで倒れてもいいような気がしてきた。
諦観とか悟りとかそんな高尚なものではなくて。

今まで何をやってたんだろう。
色んなものを批判してきた。
ここにきてそれらが容易に否定され得ないものだとわかってきた。
幸せだと感じる人はそれでいいではないか。
真理などなくとも。

感情に偽物などない。
あってはいけない感情などない。
間違った感情も醜い感情もそれはそれで人間の事実だ。

あれも嫌これも嫌。
そんなんばっかりだな。
己は無色透明の清廉潔白であるかのように思い込んで。
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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/04/28 20:43

真実とは何か

人から聞いたようなことを。
だから宙に浮いているのは覚悟の上で。
そのおつもりで。

『真実』とは何か。
真実というものがどこかにあるわけではない。
真実とは、真実ではなかったとわかるところにある。

真実とは働きである。
『真実』と『誤り(不実)』と二つの実体があるわけではない。
真実とは誤りを崩れさせる働きである。
誤りが崩れたときに現れるのが真実であり、
誤りを崩れさせる働きもまた真実の姿である。

『真実』という語は『理想』を連想させる。
理想についても同じことが言える。
理想というものがどこかに存在するわけではない。
まず理想があり、それに背く形で誤り・過ちがあるのではなく、
誤りと知るところにおいて理想が姿を現す。

それ故、浮ついた理想を設定する必要はない。
例えば善いことをせよと言う場合、
何が善いのかも、善いことをするのがなぜ良いことなのかもわからない。
結果、それは人を真に動かすものとはならない。

善いことをすることがなぜ良いこととなるのか。
また何を以ってその証とするのか。

結論を言えば
善いことなど微塵もできない、一度もした覚えがないと気が付き、
同時にそれを誤った在り方だと認識したとき、
善いことをすることが真の理想であると証明される。
証明するのは誤り自身である。
誤りが誤りであると主張するところに真実が現れる。
また現れた真実が誤りを逆規定する。

恣意的に掲げた理想に人を従わせる力はない。
人を従わせ、かつ人に生きる力、方向性を与えるものは真実以外にない。
その真実とは恣意的に定めた真実でもなければ、
消去法で導き出した真実でもない。

誤りを誤りであると知らせるところに人間の思惟を超えた真実の本分があり、
人間の思惟を超えているが故に人間の拠って立つ土台ともなり得る。
以上。
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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/04/21 20:32

右側の左

最近気が付いた自分の中の大きな矛盾。

例えば、左に理想があるとして左に向かって出発したつもりが
実は正反対の右方向に進んでいた、というもの。

目標点が左側にあるのだし、左を目指して歩いているのだから、
当然自分はもう左側を歩いているのだと自然と思い込んでいた。
でも、実際は真逆の極にいた。

何にしても当てはまる。
誰よりも大乗を願ったはずが誰よりも小乗的であったり、
情と理の和合を信じたはずが理のみの追及になっていたり、
無我を求めたつもりが誰よりも自己に固執していたり。
いろんなことに当てはまる。

理想を宣言すれば自分はもうそうなったのだと思い込む。
これは怖い罠。

自分は愚かだと宣言すれば、その否定が肯定になる。
宣言した自分、自覚した自分、誤りに気が付いた自分になり、
それそのものより一段上へ昇ったつもりになる。
改めたつもりになる。

口では愚かと言いながら心底ではそうは思っていない。
そう思っていると思い込んでいる分だけタチが悪い。
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「自己」を見つめる | コメント(4) | トラックバック(0) | 2013/04/17 20:31

性質、本質

「性質」「本質」僕がよく使う言葉。
そこには必然性がある。

「人間の性質からしてこうなのだからこうしなければならない」
してもしなくてもどっちでもいいのではなく、
性質に従うのだから必然性がある。強制性もある。

僕はそこに一人満足している。
確かなものだという安心感を得ている。
(もっともそれは確かなものを得るための土台としての確かさだが。)

その神話が崩れ始めた。
「性質」「本質」そういう言葉に胡坐をかいている裏側で
見落とされてきたものがあるのではないか。

「人間はこうしなければならない」
「性質からしてそうしなければならない」

「君達はこうしなければならない」と言うことは、
「君達は今のままでは駄目だ」と言うこと。
それはその人達を切り捨てること。
「本質」という刀で斬り捨てること。

導いているのではなく、むしろその逆で切り捨てている。
上に引っ張り上げるのではなく、下に突き落としている。

ゾッとする。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/04/13 15:23

このままでは

世間ではよく“今ここ”が大切だと言われる。
でも今の僕はその真逆の生き方をしているだろう。

僕はずっと死ぬための準備をしている。
今のままでは死ねない。死にたくない。
このままで人生が終わるとすると、
僕はその人生をむなしい人生だったと結論せざるを得ない。
だからそうでない在り方をずっと探している。
そんなことばかりいつも考えている。

だから僕の意識は今ここにはなく、
いつか来る死ぬその場所にある。

なぜ今ここが大切だとやかましく言われるのか。
それは容易にそれができないからだ。
できるならこんなには言われていない。

今ここというのは執着を手放すこと。
でもそれができない。
どうしても気になってしまう。
早く手を打たなくては、と思ってしまう。
先のことが気になる。
僕の場合。

とても手放すことはできない。
とてもこのままでは終わっていけない。
ずっとそうやっている。
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焦り | コメント(8) | トラックバック(0) | 2013/04/11 21:28
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