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一歩、一歩

賭けかもしれない―
そう思ったが本当は賭けでも何でもないのかもしれない。

何も考えないでただ生きることにのみ専念する。
他のことは考えない。
生きる意味は問わない。
この歩みの果てに何があるのかは尋ねない。
そもそも生きるべきなのかどうかなんていうことも気にしない。
ただ目の前に広がる日常を喰っていく。
それだけ。

生きようと決めた覚えはない。
生きようと思い直した訳でもない。
ましてや生きたいとは微塵も思わない。
無条件に生だけを選択するのはフェアではないと思っていたが
生きるつもりではないのだからこれにはひっかからない。

生きない。死なない。
ただ喰っていく。喰っていく。
機械のように。
廃人のように。
あるいはただ風に流されるだけのホコリのように。

怖い。
時間を無駄にしているようで。
人生問題の解決に取り組まないでのうのうと生きることが。
人生問題を解決しない人生には何の意味も無い。
そう自分で意味がないと断定しているものに自ら入り込んでいく。
落ちていく。

賭けではないのだ。
最初からこうするしかなかったのだから。

一歩々々歩んで行こう。
死に向かって。
この一歩が死への一歩。
その足を上げるのだ。
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人生観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/06/22 17:10

苦しみ考察

・なんであれ、苦しみは苦しみだ。
どういう状況でもたらされたものであれ苦しみは苦しみであって
その責任はすべて自分にある。

・苦しみに質を問うことはできない。
どんな苦しみも等しく己が負うべきものである。
誰のせいであるか何のせいであるかということは
真に重要なことではない。

・何もかも自分の責任である。
しかしこれは向上心や倫理観に火をつけるために言う
精神論や理想論の類ではない。
真の責任とはこちらから積極的に出向いて回収せねばならないものではなく
逃げることをやめたときに自然に負うものである。
「改善したい」と言っている間はまだ逃げている。
しかし一方で逃げずにはいられないのが人間である。
そここそが気にかけるべき最も重要な点である。

・苦しみから逃れようとしても逃れられるものではない。
逃げるほどに追って来る。
かといって真正面から受け止めるのも容易の業ではない。
おそらく負おうとする意識のある所に真に負うということはあり得ない。
負うことを諦めたときに負われるものである。
苦しみを引き受けられないと知ったときにはじめて
苦しみを引き受けたことになる。
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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/06/10 22:08
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