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・毎晩寝るときに、ああ、面白くないと思う。
不快というのは思惑があって初めて出てくるものじゃないか。
思惑が妨げられたときに出てくる。
快であるべきだとの思惑があるから不快に感じる。
あり得ないだろうが、もしそういう思惑がなかったなら
心は不快を感じることはないだろう。

書きながらまた面白くないと感じた。
面白くないと感じる分だけ僕は自分の思惑を働かせているいのだろう。
つまずく度に自分がどこかに向かって歩いていたのだと気がつく。
歩かなければつまずかないのだから。
そうして片時も休むことなくあちこちに思いを走らせている。


・僕の体は僕であることを拒んでいない。
全力で生きようとしている。
拒んでいるのは僕という意識だけだ。


・僕は恥ばかり感じてしまう。
自分は人に顔向けできない。
人に迷惑ばかりかけている。
それを僕は呑み込んで恥にしている。
独り占め。
それが浅ましい。

誰にも見せられない秘密にする。
もちろん迷惑をかけられている本人には丸見えなわけだが、
それでも隠したいと小さく縮こまる。
“一刻も早く迷惑をかけないで済むようになる”
と誓うことで何とか“恥”の解消を試みる。

それが浅ましい。
結局自分のことしか考えていないのだ。
結局“恥”を消したいだけなのだ。

でも迷惑をかけているその分だけ実は支えられているのだ。
誰の力も借りずに一人で立てる人間になりたいと願ったが、
本当は支えてもらわないと立てないのが僕だったのだ。

自分が恩を受けるのではない。
恩を受けて立っているのが自分なのだ。
生後に恩を摂取したのではなく、恩を受けて生を与えられたのだ。

皆がどんな思いで自分を支えてくれていたか。
もちろん、いやいやそうさせられた人、完全に被害者と言える人も
あるかもしれないが、
そういう情を超えた“恩”というものを僕は皆から受けていたのではないか。
それを僕は恥ずかしいことだ、今すぐ消したいと。
本当に自分のことしか考えていない。

(やや言い聞かせながら書いた文章)
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/11/23 16:18

自分の顔を見る

僕は本当に自分というものにこだわっていた。
これだけはゆずれないとか。

ちょっと思い出した。以前考えていたこと。
ネットを見ていて、宗教なり哲学なりの世界観を語っている人達がいて、
僕にはそれは違うだろうという思いがあって、
「世界というものがもしそういうものだったとしたら
僕はそんな世界には何の用もない。
もしどう考えてもそうという結論しか出なくなったとしたら
そんな世界からはすぐにおさらばする。」
とか思っていた。

でも、それこそ世界は自分の思う通りのものであってほしいということじゃないか。
こうでなければ気が済まない。
これでなければ僕は生きていく気はない、と。

世界が僕の願っている通りのものであるとの揺らがぬ自信があったわけではない。
でもそれにすがるしかなかった。
そうでなければとても生きていけないと思った。
それだけが僕を動かしてきたし、生きさせてきたと言えなくもないけど、
それはやっぱりただの僕のこだわりだった。

「世界」を見る前に、まず「自分」を見るべきだった。
こだわりを通してしか世界を見ない自分を見るべきだった。
こだわりの中で生きて死んでいく自分が
「一体何をしたいのか」を気にかけるべきだった。

こんなこともある。
僕は世界に対して違和感を持っている。
社会が間違っているとかいうことではなく、
「生きる」場合、人生に対して懐疑的にならざるを得ないということ。
何か問うべき、求めるべきものがあって、
それが何なのかはわからないが、それがないことだけはわかっていて
その欠落感を埋めようと必死になっていた(る)。

いろいろ考えていく内に、
何かを僕が「持っていない」でのはなく、
僕が欠落感を「持っている」のだと考えるようにはなったが、
さらに段々見えてきたのは、
「僕はやるべきことをやっているのだ」とこだわる自分の姿。

「これはやらなければならないことなのだ」
「これを解決しないと僕はとても生きてはいけない」
と、必死に自分に義のあることを主張していたが、
これもただのこだわりだったのだ。

それを解決することこそが人間における真にあるべき姿なのだと思い、
そこに願いをかけ、それを原動力に生きてきたが、
それもただのこだわりだったのだ。

問題解決云々を語る前に
まず自分がそれをどんな顔をして言っているのか、それを見るべきだったのだ。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/11/16 16:21

これが僕なのか

普遍性に逃げてはいけない。
結局は自分自身に還らなければならないのだ。
思えばずっと逃げてきた。
今も逃げている。

なぜ僕は僕なのかという問題。
僕はずっと自己でないものになろうとしている。

本当に逃げていた。
観念で考えることで現実を直視しないで解決する道を探してきた。
多分、僕は誰よりも現実逃避が強い。

“私はこれなのです。”
現実はなんと残酷なのだろうか。
全部自分で考えた通りの道のりを行こうと。
なんてずる賢い。

これが僕なのだとしたら
これは何をしてどこに向かっているのだろうか。
ご飯を食べ、風呂に入り、睡眠をとって、どこに向かっているのだろうか。
字義通り、不可思議。
知りようはずもない。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/11/16 15:29

「人間の」で、ぼやける

僕は浄土真宗に傾倒していて、尊敬する人も何人かいる。
その人たちと自分とを比べてみて何が最も違うかというと、
それは己の過ちに気がついたときに申し訳ないという気持ちが
湧いてこないということではないかと思う。
そしてそれはひとえに僕に仰ぐ人が誰もいないからだろう。

仰ぐ人がいればその人の前に罪をさらけ出すことになる。
しかし僕の場合はそれを自己の内で片づける。
「これは悪いことだな」との認識は、
仰ぐ人の前に出すのと出さないのとでは全く違うと思う。
そういう“誰か”がいない場合は自己の「秘密」として処理される。
公言できる形の秘密となる。
「見て見ぬふりしていた」
「わかっているつもりだったのに全くわかっていなかった」
という定番のあれになる。

他者や自分自身に向かって言うときの「過ち」は体裁が整えられていて
「原過ち」ではない。
心から仰ぐ人がいたときにだけそれが出てくるのではないか。

それから、僕はよくブログで自分のダメなところを書いたりするが、
その際必ず「これは人間の性」などと付け加える。

これは、落ち込んだ暗い内容だと思われて
「そう悲観的にならなくてもいいよ」と言われないために、
「いや、悲観的になっているのではないです、
事実を把握しようとしているだけです」というメッセージを込めて書いている。

ただ、やはり「人間の」とか「本質」とか「構造からして」と言った途端に、
急に抽象的で観念的になる。
「人間の」過ちと言った瞬間に「僕の」過ちという意識が薄れる。
そうすると当然罪悪感も申し訳なさも出てこない。
それが「普通」なのだから。
それを悲しいと感じるくらいだからなおいけない。
過ちの「ただ中」にいれば、悲しいというような他人行儀な感情は出てこないはずだ。
尊敬する人たちとの違いはその辺りだろう。

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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/11/11 23:12

めちゃくちゃメモ

メモ代わりに。


・二項対立といわれるもの。
「こうありたいという目標―現在の自分」これも二者関係。
Aと非A。基本的にAを求める。
非AにはAになろうというベクトルが存在し、
Aには「抽出された」という属性がある。

「求める自分」という主体ができあがる。
求めることが「自分」の目的になり、存在にとって不可分の意義となる。

「安心を求める人」を走らせる燃料は安心を求める心。
それを得ることだけが彼を満足させられる。
しかし安心したいという心は既に安心している?

得たいと思うとき問題にしているのは「得られるかどうか」「どうすればいいか」
それが自己を規定する。
よく「二項対立の世界に落ちる」ということを言うが
それはこの辺の問題か?

・平和・安寧を求めるがかなわない。
平和というのは客観的事実ではないから。
平和が来ないのではなく平和だと受け入れる心がない。
しかし欲張るなということではない。それでは単なる道徳になる。
飢えこそが人間の性なのだから。

・『人間の定義とは「飢える者」』
そう言い切ることができたとき、その認識を可能にしているものは何か?

・「目標達成不可能」ということにも種類がある。
自身の能力不足によるものや、時機、環境、邪魔する他者によってできない場合。
そしてもう一つは、設定した目標自体が間違いだった場合。
たとえば、道を歩いていたらちょっと向こうに大金が落ちていた。
それを拾おうと歩くも一向に大金には近づけない。
ふと気が付いてみれば自分は眼鏡をかけていて、
なんとその眼鏡に札束の絵がプリントされていた!という場合。
これではいつまで経っても大金は得られない。
あると思った大金がなかったのだから。
これも「目標達成ができない」理由の一つ。

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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/11/09 17:34
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