スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

つま先早歩き

歩くときにつま先を少し上げる感じで、
つまり足裏で蹴って歩かないように最近気がついたときにしていて、
それで改めて思った。
僕は普段踵にほとんど体重をかけないで歩いている。
ずっとつま先の方に体重が乗っている。
蹴らないようにしてみて、踵に体重を乗せてみてそれが初めてわかった。
なんでそんなことをしてみたのかは置いといて。

踵に体重を乗せるとどっしり感が違う。
存在のどっしり感。
呼吸も深くなる。

僕は外に合わそう合わそうとする。
行けと言われたらすぐ行けるように。
違うと言われたらすぐ去れるように。
また、焦りもある。
行かねば、行かねば。早く、早く。
前のめり。
前に倒れるような位置に重心を置いている。
全くもって、地に足が付いていないとはこのことだ。

つまりは、「そこにいない」のだ。
いつも、仮にそこに居させてもらっているかのような申し訳なさ。
すいません、すいません、すぐ去ります、すぐ去ります。
しばらくここを汚してしまいます、すいません、すいません。
いつも「いなくなる」ことを前提にして生きている。
そんな思いが、「つま先歩き」に出ているのだろう。

歩くときでも立つときでも、しっかり踵にも力を分散させると
「ここにいる感」がぐっと出る。
そんな感覚を持ちながら歩いていても、
横断歩道の途中で信号が赤に変われば、
はっと息を呑んでまた、つま先早歩き。
別に息を深く吐きながらどっしり歩きをしても、
早く歩こうと思えば歩けるのに。
不意なところで自分の素が出る。
この辺は本当に鍛練するしかないんだろう。
関連記事
スポンサーサイト
「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/26 15:48

究極の人

先日、引き出しの整理をしていると、
中からウルトラマンのDVDが。
大学時代の友人がくれたもの。ああ、こんなところにあったのか、と。
友人というか、正確には友人の友人で、少し話したことがある程度。
一度大学帰りにたまたま出くわし、そのまま一緒に帰ったこともある。

その人が卒業記念に作ったのがそのウルトラマンのDVD。
彼はウルトラマンや戦隊ヒーローもの、アニメなどが好きだった。
それを公言していたから、なかなか面白い人だなと思っていた。
卒業間近の時期に親しい友人に配っていたようだ。
それを僕の友人に渡すときに、たまたま僕もその場にいたから、
もらった。

いつか見ようとは思っていたが、
何となく見る機会がなくてそのまま来た。
今回見つけて、せっかくだから見てみようと思い、見た。
感動した。
不意打ちだった。

内容は、コマ撮りというのだろうか、
写真を一枚一枚素早く等間隔に提示することで、
動きを表現するもの。
ウルトラマンや怪獣のフィギュアが曲に合わせてダンスをしている。
言葉で説明するとただそれだけのものなのだが、
そして製作者もそれしか狙っていなかったのだろうが、
「よくこれだけのものを作ったなぁ」と感心してしまった。

出来は結構よくできていたとは思うが、当然プロレベルではない。
いかにも素人が作ったという雰囲気は出ている。
でもそれが逆に良かった。
作った人の顔もたたずまいも知っているから、それが良かった。
(名前は忘れてしまったが・・・。)

見終わったときは思わず拍手していた。全く無意識の内に。
(途中、ボディが肌色でスカートをはいた何者かが
 怪獣とウルトラマンの群れの中に現れ「ん?」と思ったが、
 あれはきっと見間違いだろう。)

いやぁ、感動した。
撮影手法から言って製作には相当時間と手間をかけたはずだ。
構想もだいぶ練ったことだろう。
それをやりとげたのだから彼の「ウルトラマン好き」は
生半可な熱意ではなかったわけだ。

あの時期の僕はちょうど何にも打ち込めず呆け出した頃で、
そんな僕のすぐ近くにあんなに熱意を持った人がいたのだと、
そのことに驚き、感動してしまった。
しかも当然、そんな人は彼だけではなかったのだろう。
大学時代はとにかく自分自身に奮闘していて、
周りが全然見えていなかったのだなと改めて思った。
それでいいと思っていた節もあったし。

それにしてもあれだけの数のフィギュア、よく集めたものだ。
100体近くはあっただろう。もしかしたらそれ以上かもしれない。
彼はもしかしてお金持ちだったのか?
関連記事
つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/24 20:16

なるべく伸び伸びと

なんだか最近突然人が変わったみたいに神、神、言いだしてすみません。
自分の中でもう少し整理がつくまでこんな感じでいかせてもらいます。
色々言葉にしながら試している段階なので
きっと読んで下さっている方が感じておられるであろう
「変な気持ち悪さ」はもうしばらく続くことになると思います(笑)
宗教の極意を相手に宗教の話とは悟られずに話すのが
僕の昔からの夢なので、それに向かって精進します。

・相手に取り合うと勝ち負けしかなくなる。
押したり押し返されたり。陣取り合戦。
取り合わないで神と繋がっていると、
あなたはあなたとしてそこにいて下さい、
私は私としてここにいます、となる。
一見無干渉の無交流のように思えるがそんなことはない。
押し合いの世界に引っ張り込む方が気の毒だ。

・自分で言っておきながらなんだが、
「そこにいればいい」とは、視点をなくした視点、
世界そのものになって世界を知るということか。
「ここ」から「あそこ」を見るのではなく、
ここもあそこも包んでいるところの「世界」にリンクすることか。

・わけのわからないことを考え付いて、滅茶苦茶なことばかり言っていたら
残りの人生を棒に振るぞ、と言う人にはこう言うべし。
勘違いしっぱなしで人生を棒に振るって、これほど滑稽な失敗がありますか。
我ながらその姿にはむしろ哀憐の情さえ抱きます、と。
これが最終兵器。
人生棒に振ってもまだ救いがあるのだ。
その他に何を恐れることがあろう。

「いやいや、棒に振ったら駄目だろう」
理性か。
なるほど理性は人間だけが賜ったものだけあってなかなか気位が高い。
だが理性に使われてどうする。
せっかく人間として生まれたのなら理性に使われるのではなく
理性を使う人物になりなさい。
正しく使えば気位が高いだけあってその恩恵もまた大きい。
「人生間違えた」というのは己の人生さえもネタにして繰り出す
最高の冗談ではないか。

・体が命をつなぎ止めている。
だから体が滅びれば命も霧散する。
いや、逆じゃないか。
命が体を使用している。
何らかの働きを実現するために体という形をとっている。

・書く・話す・伝えるで自分をアピールしようとするな。
いることで存在が滲み出すようになれ。

・まずかったな、こうするべきだったなとかよく考えるけど、
それもほどほどに。適当に。
その手加減っぷりが一番良くないのだから。
失敗するにしてもこけるまでは全力で突っ走ればいい。
こけるだろうかと気にして途中でやめてしまわないように。
加減して走らないように。
進路変更とかはこけてから考えればいい。
その手加減が伸び伸びと生きようとする心を押さえつける。

・なんだか、グダグダ、フニャフニャ、グータラでもいいような気がしてきた。
それを許されている感覚。
神は汚物であってもそこにあることを許される。そこにあることを望まれる。
美も醜も既にそこにあるのにそれを後からその是非を問うのは問題外。

・常に神のもとに心を置いておくように。
人に会っても人の背後の神を見るように。
人に取り合うと争いが生まれる。
それは相手にとっても悪いこと。
神とのリンクが切れるととかく悲劇的、地獄的になる。
関連記事
人生観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/21 22:25

注)これは神レベルのボケです。

・「この野郎」とか「やってやらぁ」とか「うぉーっ」とか、
そういう人間らしい感情が何年振りだろう、久しぶりに出てき始めた。
今まで自分がいたところが、暗くて冷たくて重くて、すべてが灰色で平板な
そんな異常な世界だったのだということがよくわかった。
わかれてよかった。
人間の陥る過ちの一つを踏破した。

・気分が優れないときは無理に明るく変わろうと努めるのではなくて、
ちょっとでも幸せな感情を持てることがそのときにあるのなら、
それを膨らませるのが良い。

・調子に乗って自分はすごいと思ったときに、
それをやめようとするのではなくて、
むしろ逆に調子に乗れるとこまで乗ってやろうとしてみては。

・ちょっとした失敗をして、僕は本当に馬鹿だなぁと思う。
でも、それは神様の繰り出した一つのボケなのだ。
例えば、これは今日あった実際の出来事だが、
うちではかなり古い電子レンジを使っていて、最近のものはどうか知らないが、
時間を決めてからスイッチを押さないと加熱スタートしない。
で、かなり年季が入ってるから最近は電源コードの角度によっては反応しないことがある。
今日も加熱が始まらないから、またかと思いコードをいじる。
でも始まらない。
とうとう本格的にお陀仏かと。
なんとなく試しに開始のスイッチを押す。
と動き出す。
あ、押してなかっただけか・・・。
馬鹿だなぁーと思った。
が、神様も中々しょうもないボケをかましてくれるなとも思った。

そういう目でみると、こんな小ボケはあらゆる所にあらゆる瞬間にあふれている。
手をかえ品をかえ、笑わせにかかってくる。
神様というのもなかなか気さくな御仁だなと思った。
わざわざこちらから機嫌をとりに訪ねていかなくても、
あちらからしょっちゅう笑わせに来て下さる。
そんなに笑ってほしいんですか。

笑いは否定されるよりスルーされることの方が精神的ダメージが大きいから、
ボケられたときはちゃんと笑ってさしあげよう。
関連記事
つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/13 19:08

ご機嫌伺い

・外側に合わせるというのは神のご機嫌伺いなのだ。
それは言ったら悪いが神の奴隷なのだ。
自分の存在は神次第。
でもそれじゃ遠い。神が遠い。

・神に奉仕したら気持ちいいだろうなと思う。
がそうするとまた自分は善人、選ばれた人間だと思ってしまう。
だから奉仕もそこそこにしておいて気持ちよく感じたら
すぐ手を引くようにしている。
また愚を演じてはいけないから。
すぐ調子に乗るから。

殊勝な心がけだ。
でも今は別のことを思っている。
神様のご機嫌伺いなのだ。
これで正しいですかと。僕はこれで合ってますかと。
だってどういう立ち位置がいいのか分からないんだから。
外れるのが怖いのだ。
でもわかるよね。
それは奴隷だよ。

信仰者になりたいけど
本気でそうすると信仰者ではなくなってしまうから、手加減する。
調子に乗らないように距離を調整する。
でも、ご機嫌伺いをしているのははっきり言って、神様が遠いよ。
真の信仰者は手加減なんてしない。
神様に許してもらうために生きたりはしない。
正しくあるためになんか生きたりしない。

楽しいと思うこと、気持ちのいいことをしてもいいのだ。
ずっと僕はそれがひっかかっていたのだ。
何をなすにも戒めの鎖があった。
失敗しないように。失敗しないように。
真面目だった。あまりにも真面目だった。哀れなくらいに。
でも失敗してもしなくてもどちらでもいいのだ。

・残念ながら自分のしたいようにするのが神に適う生き方らしい。
その点は僕は下の下だ。
だが、自らで自らを傷つけるの罪を知る道は歩いてきた。
そこに僕の道があったのであり、そこで活かせるものもまたあるだろう。

・僕は胸に楔を打ち込んでいた。
楽しんではいけない。幸せになってはいけない。
自分の人生は滅茶苦茶にしないといけないんだと。
そういう誓い。
残念だけどこういう考え方もできるんだよ。
あの出来事のせいじゃない。
僕は制限が欲しかったのだ。
無が怖いから。
制限が欲しいからあの出来事なり何なりを引っ張ってきた。
ともかく今こういう状況に落ち着いた。
落ち着いてるだろ。
心の投影なのだ。
僕が欲していたという面もあるのだ。
それは酷なことだけど。
関連記事
「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/11 20:34
 | HOME | Next »

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。