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何のための自己実現か

前回の続き。

個人の快だけを求めて生きていて一体それが何なのか、
その自己完結的な姿はあまりにもむなしすぎるじゃないか、
という心の声に僕は悩まされている。

快と言ってもいわゆる欲望などに限らず、
自己の成長を願ったり、豊かに生きることを願ったり、
ということも含めてだが。
これらを願うことは当然良いことなのだとされていて
実際はまともに振り返られてはいない。

今「個人主義」といわれているものには中心がない。
背景がない。
これが一番の問題だと思う。

何のために個人を尊重するのか、
何のために個人を実現させるのか、
その芯がない。

だから、それは快を得るためなのだろうと皆勘違いしている。

でも最近僕は思うようになったのだが、
個人として生きるのがなぜ「良い」かというと、
それはそうすると快いから「良い」のではなくて、
そうすることが道理だから「良い」のではないかと。

つまり、その背景にあるのは、
“人間は個人として生きるのが道理だ”という僕自身の人生観。
それが正しいものなのかどうかは問題ではなくて、
こういう人生観なしには個人主義はありえないと思う。

背景に特定の人生観を持たない(持てない)ことから
個人主義が単なる各自の自己満足への希求になっていることに
まずは気付いていかないと駄目だと思う。


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世の中 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/05/14 20:29
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