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頼らないで頼ることはできない

ご年配の方やお坊さんなどが
“もったいない”“かたじけない”とよく言われるが、
これは本当に大切な精神だと思う。

今の世の中は、弱い人間であってはならないと言う。
落ち度があったり調和を乱す人は社会(というグループ意識)から
外へ締め出される。
だから皆そうならないようにと躍起にならなければならない。

自身に落ち度があると感じられると、自身を恥じるようになる。
それは自己破壊的で己の内部を灼き尽くすような種類のもの。
これと“かたじけない”というのとは全くの別物。

“かたじけない”には感謝がある。
そこには落ち度がある=ダメ人間の図式がない。
落ち度があってもいい、
というかむしろ落ち度があるのが当たり前だ、という意識。

互いに欠陥があると認めるからこそ相互扶助の考え方が生まれてくる。
それなのに、
欠陥がなく自立した人間になるのが人間のあるべき姿だと言いながら、
助け合いの精神は大切だといくら言ったところで、
その意識が今以上に高まるはずはない。

個人において、何かマイナスポイントが現れてくると、
それは異常なものだとして
治したり鍛えたり矯めたりして“普通”に戻さなければならないという。
この考え方ではもう駄目だと思う。

一方で頼らない生き方を目指しながら、
他方で頼り合える社会を目指してみても、
相反するものを同時に求めているのだから上手くはいかない。

そんな状況で“欠陥があってもいいんだ”といくら言ったところで、
それが個人にとって大きな救いにはなったとしても
社会の骨の髄にまで響くことはないと思う。
そして社会にとっての救いにならない以上、
個人にとっての本当の救いにもならないと思う。

問題の核心は多分、欠陥を認められないこと、と言うより、
現代人が“普通”という幻想にとらわれすぎているということではないかと思う。


長くなるので続きはまた次回に。


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世の中 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/04 20:51
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