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昔から変な人はいた

前回の続き。

いつの社会にも“普通”という幻想はあるだろうけど、
多分現代人はそれにとらわれすぎているんだと思う。

昔は建前としても考えられた“普通”が、
今では建前というよりも現実的な拘束力をもったものとして
捉えられていると思う。

きっといつの時代にも落ちこぼれといわれる人も、
社会からはみ出す人も、変な人もいた。

それでもなんとなく社会が上手く成り立っていた、と思う。
それが今では枠からはみ出す人は完全に外へと追い出される。
外的にだけでなく内的にも。

自分ではみ出してしまったと自覚したときには、
もうその人の尊厳は破壊される。
自分自身の“普通”意識によって。

こんなに窮屈で、枠からはみ出さないようにと
オドオドしなければならないような状況の中で、
本当の感謝が生まれてくるはずがない。

人から下に見られないようにと必死にもがいている最中に、
“かたじけない”なんて言葉が出てくるはずがない。
出てきたときはその意識が崩れたときだろう。

こんな風に、個人においては
“かたじけない”という気持ちが出てくることがあるとしても、
社会がこの状況で満足していてはまずいと思う。

“感謝をしよう”といくら言っていても、
“どう生きるかは個人の自由”という溶解液を噴射すると
それは簡単に霧消してしまう。
単なる個人のつぶやきになってしまう。

だから相互扶助の精神を本当に社会の理想とするのなら、
感謝をしようと呼びかけているだけでは足りなくて(もちろんそれも必要だが)、
そう言っている自分自身の立っている土台が既にもう
感謝とは繋がらないものなのだということに気付いていかなくてはならないと思う。

欠陥を認識すると、それを何とかしようとして
結果的にその周辺のことに精通することがあるように、
意識が集まれば自然と打開策も出てくると思う。


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世の中 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/05 21:56
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