スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

それでは磨かれる前の「原石」が、報われない

なるべく心を磨きたい。

最近ふと思ったのが、「心を磨く」というと
普通は「原石を磨いて宝石にすること」を想像すると思う。
でも昔から言われている「心を磨く」ということの意味は
多分それだけではないんじゃないかな、と。

原石をを磨くというのは、
たゆまぬ努力を続けていけば徐々に心が磨き上げられ
いつかは光り輝く、ということだと思う。
その輝きはひたすらに磨き上げてきた努力抜きにはあり得ない。

ところが、同じ「磨く」にも部屋の掃除などの「磨く」もある。
「原石」の方は輝くのは磨きに磨き上げた後だが、
「部屋の掃除」なら
雑巾で窓を磨けばそれなりにきれいになる。
その代わり少し怠ればすぐにほこりが溜まってまた汚れる。

前者は理想的、段階的。そして前進。
後者は現実的、瞬間的。そして直立。

理想を追い求めて前方しか見ないでいると
やがて足下の石につまずく。
結果しか見ていないと今が疎かになる。

「原石」は磨き上げられ完成に到るまで賞賛されない。
でも、それではそこに到るまでの過程が報われない。
汚くよごれたままの「この今」が「今」報われていない。

人間はきっと何十年の鍛錬の末にしか
光り輝くことがないというわけではない。
ほこりが溜まったテーブルでも雑巾でさっと拭いてしまえば
それでもう十分快いほどにピカピカ輝く。

人間がたゆまぬ鍛錬の末にしか報われないのだとは
信じたくない。
一日掃除をすればその一日はきれいだ。
別にそれを積み重ねてはじめてきれいになるのではなく、
一日掃除をすれば一日はきれい、それでいいと思う。

放っておくと汚れるだけで、もともとはきれいなんだ。
きっと昔の偉人が言う「心を磨く」というのは
こちらの意味合いも兼ねている。
むしろこちらの方が強いかもしれない。

おかしなことを仕出かさないように
間違いを犯さないように
常に心を清く保つ。
磨いてきれいにしておく。

などと普段ほとんど掃除をしない僕が言ってみた。


[↓クリックして応援して下さるとありがたいです]
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
にほんブログ村


スポンサーサイト
人生観 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/06/10 20:44
コメント
なるほど
変に手の届かない「理想」を設定せずに、
かといって自暴自棄になるわけでもなく、
きちんと地に足をつけて向上を目指す、ということですね。

忘れがちですが重要ですね。
重要ですが、その気持ちを維持するのは想像以上に困難な気がします。
(「そんな程度のことを困難だなどとは甘い」と言う人もおられるでしょうが)

僕も、ともすれば“すぐには実現できない”ようなことを考えがちです。
疲れてる時に、こんな自分じゃ駄目だ、とか。
たとえ自分に苛立っている時でも、
疲れてるなら休む、とか、そういうことも「一つの向上」と思えるような心持ちも大事ですよね。

苛立ってばかりいる、というのも、
「自分はこれだけのレベルで考えて悩んでるんだ」
という幼稚なプライドでしかないのかもしれません。
そもそも雰囲気を悪くしますしね。

・・・いろいろ考えさせられました。



ただ、苛立っちゃう時は苛立っちゃいますよね。
(ぶん投げるような言い方でアレですが。)
まあでも、気をつけようと思います。

ありがとうございました。
まこっちゃさんへ
コメントありがとうございます。

「向上」ばかりを追い求めているとしんどくなってくることがあります。
苛立ちも出てきますしね。

だから全てを放棄して投げ出したくなるんですが、
そんな「放棄」でさえも肯定できたらなと思います。


地に足がついているのといないのとでは大きな差があると思います。
疲れたときにはその地の上に寝転ぶこともできますし、
その地を蹴り上げれば跳躍することもできます。

そんな大地に身を委ねるような感覚を常に持ちたいものですね。

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。