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このむなしさをどうにか

たまに学者や作家(特に仏教に深い造詣を持った)の書くものを読んでいると、
現代人は自分探しに躍起になっているが
自分の中に自分を探してもそれが見つかることはない、
というような文章をよく目にする。

この考えには僕はまったくもって賛成だが、
一方で自分探しをせずにはいられない気持ちもよくわかる。
自分探しという言葉は嫌いだが結局僕がしているのも
それに他ならないのだろうから。

先輩方の世代ではまだそういう発言自体が稀だったろうから
そういう発言は必要だったのだろうけど、
その後を生きていく僕らの世代としては
もう一歩突っ込まなくてはならないのだから・・・
とひねくれたことを考えたりもする。

僕ははっきり言って、
今の「自分として生きるべき」という風潮に対しては、
嫌悪感に近い違和感を覚える。
それは先輩方の言う通り、
「自分」を中心にしている限り
いつまでたっても納得することができないからだ。

自分を成長させてそれが一体何だと言うんだ。
自分を豊かにしてそれが一体何だと言うんだ。
僕の頭の中では絶えずこんな声が響いている。

目の前に現れてくるものによって心を振り回され、
幸せだと思ったりやっぱり苦しいとか思ったり
うれしいと思ったり悲しいと思ったり、
そんなことを盲目的に何度も繰り返しながら
その内に死んでしまうなんてむなしすぎるじゃないか。

自分の目の前に現れてくる物事にきちんと「出会う」には、
自分の中に中心を持たなければならない。
絶対的なものを持たなければならない。
相対的なものに拠りかかってもフラフラ揺れるだけだ。
でも現代人には神を信じることは容易にはできない。
自分に都合の良い「神」を持つことができても
それは相対的なものにすぎない。

やっぱりなんとしても自分という「存在」や「人生」を
貫き支える心棒がなくてはならない。
僕にはこの問題をどうしたらいいかなんてわからないが、
方向としては「自分として生きる」ということを
考えていけばいいんじゃないかと思っている。

最初に否定しておいてなんだが、
今の「自己尊重」の風潮は方法が間違っているだけで、
方向としては間違いではないと思う。

自分を大切にして自分らしく生きることは、
それが自分の快になるから推奨すべきなのではなく、
それが人間の道理なのだから目指すべきなのだと思う。
従うべきなのだと思う。
最近そう思うようになった。

なぜそれが道理なのかには理由はない。
下手に理由を挙げればこじつけになってしまう。
でも人間が自己を開発しその都度創造して生きていくのが、
この世界に生きる存在としてのあるべき姿なのではないか
というちょっとした実感が生まれつつある。
この方向で間違ってないと思う。

だから現代人がすべきなのは、
自分探しをやめる方法を探すというよりも、
自分探しをせずにはいられない気持ちと
すべてをむなしいと思う気持ち、神を求める気持ち
とが交わる点を探すことだと思う。


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自己完結のむなしさ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/22 20:37
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