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無意味などとは絶対に認めない

今の僕の状態。
その場で足踏みしてる。

子どもの頃には先に希望があった。
漠然と何かワクワクするものが待っているような気がした。
小学校から中学校、中学校から高校、
次のステップへたどり着けば何か未知のものとめぐり合い
段々と自分が大人になっていくのだと思った。
大人になれば満たされるのだと思っていた。

でもある程度の年齢になって気が付いた。
この先には何もない。
環境とか待遇とかそういうことではなく、
他の何かをこなしたところで変わりなく、
あと待っているのは死だけなんだと気が付いた。
よく考えてみれば生まれたときから死ぬことが決定していた。

そのことが怖くて不安になった。
死ぬこと自体は怖くない。
でも僕という存在やその人生、またこの世界そのものが
無意味なものなのではないかと思えて、
その不安がどうしても消えなかった。

「無意味だ」と断定したわけではない。
「無意味なのではないか」という可能性が怖かった。
その可能性がそれまでそこに存在していた神話を一挙に突き崩した。

無意味などとは絶対に認めたくなかった。
だから無意味ではないことを自らの人生をもって証明してやろうと思った。
でもそうすることで僕は姿の見えない死神にとりつかれることになった。

実は生まれたときからずっと背後にいた死神。
遠くにいるか近くにいるか、そんなことは関係なく
常に背後で待ち構えている死神。
その姿を一目見て、それから煮るなり焼くなり好きなようにしようと思った。
とにかく姿を見ないことには何もはじまらない。

でも結局、僕のこんな行いはさながら
自分のしっぽを追いかけてぐるぐる回る犬と同じだろうか。
ひたすらに己の背後にあるものを見ようとして振り返るが、
振り返っても既にそこにはもういない。
どんなに迅速にどんなに巧妙に振り返ってみても
とらえられない。

その場に立ち止まって回り続ける自分に対して
先へ進めという自分もいた。
どんなに不安であったとしても
それを忘れて前に進まなければ人間として恥ずかしいと。

でも僕にとっての前に進むためのこの一歩は
それが崖から先へ進むことのように思えて
どうしても踏み出せなかった。

もしくは既に崖が崩れ落ち、己が落下している最中にも思えた。
大地から投げ出され宙に浮いてしまってはもう為す術がない。
共に落下している岩や木を掴んでみたところで頼り甲斐がない。

この世界の中で唯一落下せずに
確たるものとして存在するものはないか。
大地はどこにある。
着地点はどこにある。
この落下でさえも飛翔の一形態であると
真顔で言い切る仙人はどこにいる。

もはや自分がいつか着地できることを信じて
じっと耐え忍んでいるのか
それともただ立ちすくんでいるだけなのか
それすらも定かではない。
それが今の僕の状態。


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人生観 | コメント(2) | トラックバック(2) | 2011/06/26 20:37
コメント
僕も
足踏みを続けてます。
好きで続けているわけじゃないんですが、
だからこそ、たぶん世間一般の人はなかなかしないくらい、同じ場所を踏みしめてます。

最近、僕は、
まさにそのことによって僕の存在意義を感じるようになっています。
屁理屈かもしれないし、
無理に自分に意味を持たせようともがいてるだけかもしれませんが、
ごく自然に、そう感じる時があることも(僕にとっては)事実です。

だから僕は、もう少し踏みしめてみようと思います。
環境が変わり、生活も変わりますが、
僕自身と、僕の心の中は、
いつまでも相変わらずです。
「自分」としていく
こちらもコメントありがとうございます。

トラックバックで紹介して頂いた記事も読ませて頂きました。

本当にまこっちゃさんには共感するものを感じます。
最近記事を書く気力がなくなっていたのですが、
おかげで勇気が出てきました。ありがとうございます。


人間はいつの間にか生まれていて、
それがいつからか「自分」になって生きていかなければならないんですよね。
それは誰が命令するでもなく自分自身がそういう過程を歩むようになぜかなっています。

環境も両親も自身の気質もあらゆるものを引き受けて、
それを「自分として」生きていかなければならない。
そんな気がします。

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