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やっぱり理想は大切ですか

世間で普通に使われている言葉で
せっかくいい言葉なのにちょっと誤解して使われていて
もったいないなと思うものがいくつかあるから、
また思い出したときにでも書いていきたい。
(なるべく文句にならないように)

今回は『理想』について。
(つい1、2年前までこの言葉が大嫌いだったのに
 まさか自分がこんなことを書くとは)


禅僧の良寛和尚が大地震で被災した知人に宛てた手紙の中で
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」と言った。

この部分だけを抜粋するから余計にそう思えるのだが、
一見するとかなり冷たい言葉だ。
普通の人にはこんな無神経なことはとても言えない。
だが、良寛さんだからこそ言えた本当に心のこもった言葉なのだろう。
「この人だから」良かった。

皆がそういう発言をしようということではなく、
そう言ってくれる人が社会の片隅にでもいてくれるのは有り難い。
同じように、個人の心の「片隅に」理想があればそれでいい。

理想というと、実現させなければならないもの、
また実現できなければ落第の判を押されるもの
というイメージすらもあるが、
ここでいう理想とはそういう
理想と自分とを同一化するような種類のものではなく、
常に自分の目の前にあるようなもののことだ。

「理想」というと普通(少し極端だが)は
実現させ実益を産まない限り単なる妄想であり無駄である、
現実味がない、地に足がついていない、などと功利主義で考えるが、
理想は本来、理想のままであり続けるから意味がある。

確かに理想は自己を向上させるものだが、
現代でそう言ってしまうとどうしても功利主義と結びつくので、
「向上」というよりもその場その場で自分は今どうなのかとチェックする
鏡のような役割と思ったほうがいい。

世の中はそんなに段階的にできているわけではない。
生まれたときが0で死ぬまでには100まで行きたい、と、
それも大事だがそれだけではなく、
理想を0に置いて-1か-2になったらその都度0に戻す
という考え方も大事にしたい。

これは理想を簡単に手の届く範囲にまで下げるということではなく、
例えば“人に不快な思いをさせない”を理想にしたとすると、
これを実行するのはそれなりに簡単にできることだ。
腹が立って暴言を吐いてやろう仕返しをしてやろうと思った時に、
いややっぱりやめておこうと思えばある程度我慢できるものだ。

でもだからといって、人に腹を立てることが全くなくなるなんていうことは、
はっきり言って一生ない。
それが人間というものなのだろう。
腹を立てたくなるような機会はいくらでもある。
だから簡単に0に戻し得るにも関わらず、
これは一生存在し続ける理想となる。

理想を段階的に捉えるなら、それが達成されれば
それでその理想はもう御役御免で消えてしまう(そして次の理想が生まれる)が、
ここでいう理想は一生叶わない理想としてあり続ける。

理想は同一化すべきものではなく、
歩め(歩みを止めれば失格だ)と追い立てるものでもなく、
常に目の前にあって自身の姿を映し出す鏡だ。
永遠に叶わないがそれを理想として掲げることに意味がある。
己の中にそういうものを持つことに意味がある。

(段階的でなく)目の前にある理想だから
そこからかけ離れることもなく、
また反省すればいいだけで極端に自己を卑下しなくてもいい。

外出する際に鏡で身だしなみをチェックするのと同じで、
ゴミが付いていれば
「こんなところにゴミが付いているなんて人間として終わりだ」
などと思わないで
気が付いたら取ってしまえばいいだけだ。

鏡自身は「完璧人間であれ」なんてプレッシャーは与えてこない。
ただ汚れを汚れのままに映し出すだけだ。
それを見て自分を整えていけばそれでいい。

1から2、3と来て100まで登り詰め、次は200だ、500だ、
と先にまだ何かが待っているんだと思うことでしか人間は中々生きていけないが、
これではこけてしまったときが悲惨なので、
社会の片隅にでも良寛さんのような人がいてくれたらどんなにいいかと思う。
全員がそうなる必要は全くないから。
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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/07/07 21:43
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