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苦しくても僕の人生じゃないか

僕が間違っていた。

目の前に壁のように立っているこの問題を解決しない限り
人生を楽しめないと思っていた。

でも例えそれを解決できたとしても、
僕はどうせ完全に自分に自信を持つなんてことはできないのだろう。
どうせ人生を楽しく生きることなんてできない。

“あれさえ解決できれば”、
そう思うことで僕はそれに囚われていた。

結局僕も“こんなのは本当の人生じゃない”
と思って生きていたのだろうか。

現にある「今」をひたすら否定していく哀れな人生。
いつか来ると信じる「楽しい人生」を夢に描きながら
眠気まなこで生きていく現実。

苦しくても僕の人生じゃないか。
それは成長へと繋がるから尊いんじゃない。
いつか実を結ぶから尊いんじゃない。
僕の人生の一部分だから尊いんだ。

どんなに恨めしく思っても
これが今の僕を構成しているのだから大切にしないと。

苦しみを大切にすることなんてできない。
苦しみを楽しむことなんてできない。
でも苦しんでいる僕自身なら大切にすることも楽しむことも出来る。
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いま・ここ | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/07/19 21:18
コメント
本当にそうですね
今までのことはすべて、
小説で言うところのプロローグのようなものだ、と思って、
今ここにいる自分自身を満喫しながら、時間を充実させていけばいいわけですよね。

何をしている時でも、
その時は、その時きりですからね。

こういうのって、
気付いた時に言うことはできても、次の瞬間にはすぐに忘れてしまいます。
こうやって他人から言ってもらえる、ということは大変ありがたいことです。

ありがとうございました。
今から、気を取り直して、目の前の世界を生きようと思います。
こちらこそありがとうございます
本当におっしゃる通りで、
こういう反省とか感動とかは
次の瞬間には忘れてしまうんですよね。

何度も同じことに気付いたり忘れたりを繰り返しています。
あのときの感覚を思い出すんだ、と思っても
やっぱり思い出せないんですよね(笑)


そんなお礼を言っていただけるとは思っていませんでした。
こちらこそ嬉しく思います。
ありがとうございます。
はじめまして。
まこっちゃさんからの紹介でお邪魔しました。


「苦しみを大切にすることなんてできない。
苦しみを楽しむことなんてできない。
でも苦しんでいる僕自身なら大切にすることも楽しむことも出来る。」

わかりやすい言葉ではっとさせられて共感しました。が・・・・

何かどこかでわかっちゃいるけれど

できないんだよなって反論したくなります。

苦しみに浸かっているときって本当に苦しみだけなんですよね・・・・僕の場合。

でもお笑いのテレビなんかを見ると忘れているけれどスイッチ消せばまた苦しみ・・・みたいな。

苦しみにも今どこの段階にいるか、それによって
客観視できるときもあるかもしれないですけれども。

初めてのコメントで生意気でしたね。でも感じているところが僕と似ている気もしました。
J太郎さんへ
J太郎さん、コメントありがとうございます。
僕もJ太郎さんのブログを見させて頂いて、
この方には共感できるところが多くあるなと思いました。
なのでコメント嬉しく思います。


J太郎さんの反論、もっともだと思います。
僕も自分自身にそう反論したくなりますから。
痛いところを突かれました(笑)

ごくごくたまにですが、苦しい中でもふっと自分を客観視できる瞬間があります。
いつも同じようなことで悩み同じような失敗をしている自分のことが
まるで他人を見るように「こいつも懲りないやつだな」と可笑しく思えてくることがあります。
あまりこういうことを言うと変に思われるかもしれませんが、
「お前はお前でまあ頑張れ」などと言ってあげたくなるときもあります。
(こういうときは他人というより息子のような感覚です)

こんな体験の記憶が残っているものですから、
苦しんでいる自分自身を「馬鹿だな」と笑ったり「頑張れ」と応援したりする、
あのときの余裕が出てこないかな、という願いみたいなものですね。この文章は。
正確には願いというより、あのときの余裕を思い出せとただ言い聞かせているだけですが。

生意気だなんてとんでもないです。
むしろ率直な感想の方がうれしいです。
このブログには上記のような嘘くさい自分自身への“言い聞かせ”が多分にありますが、
どうぞ宜しければこれからもたまに見に来て頂けると嬉しいです。
No title
書くことが出来る

その時点で素晴らしいことなのかもしれませんね。

僕も書いた後に消したくなるようなことがあります。

他人の批判は簡単だけれども

自分を批判するのは文章では難しくてどちらかというと駄目な自分を慰めるか、もしくは出来てもいないことを一瞬できているかのように錯覚して

書きこんだりします。

偉人やスポーツ選手が何か誰かを激励している映像を見ると、この人は素晴らしいなあと思い関心しますが、ああいう一流の土俵にいる人も、実は人に言っているようで孤高に戦う自分に言い聞かしているのかなあとも

思ったりもしました。
自分を他人事のように捉える
横からすみません。
J太郎さんとかめさんが知り合って、僕もわくわくしてます。


確か、高校生くらいの時だったと思いますが、
「自分を他人事のように捉えられるようになるといいんだけどね」
とアドバイスされたことがありました。
それは非常に的を射ている、と僕は感じていますが、
いまだに「自分が自分が」という意識は変わっていません。
今でもそのことで注意を受けたりもしています。

かめさんが時々経験されるという、
自分自身に対する(ある意味で他人事のような)眼差しは、
上記の面で、僕に欠けているものだと感じました。
僕は相変わらず自分が納得できないと気が済まない性格ですが、
この性格は結構、もろ刃の剣で、
自分も他人も容赦なく切りつけてしまうことのある性格ですので。



あと、僕も、
出来てもいないのに偉そうに書いていることが大半です。
自分に言い聞かせて書く、という部分は非常に大きいです。
確かに、一流の土俵にいる人もそうなのかもしれません。
というか、「一流の土俵」という意識は、本人ではなくこちらから一方的に押し付けたものなのかもしれませんし。
そういうギャップって、難しいですよね。
認識するのも、埋めるのも。
コメントありがとうございます
まこっちゃさんとJ太郎さんとこうやってお話ができるのはありがたいことです。


お二人もおっしゃるように、
やっぱり自分にできてもいないことなのにできていると錯覚したり、
他の人に言いながら同時に自分に言い聞かせたりもするものですよね。
僕の場合、特にブログだとそうなってしまいます。

「これではいけないよ」という感じで他の人の批判をしているつもりですが、
実はそれは自分自身がまさにそのいけない失敗を犯しているからこそ
気付いた批判でもあるわけでして。

きっと批判することで自分はもうそれを乗り越えたんだと思いたいんでしょうね。
あまり分析すると暗くなるのでこのくらいにしておきます。


一流の土俵に立つ人の発言も確かに自分自身に言い聞かせている面もあるような気がしますね。
まこっちゃさんがおっしゃるように、
「一流」というのはこちら側の押し付けなのかもしれませんね。
彼らは夢を与えてくれる存在ですが、当人達はきっと孤高に戦っているんでしょう。
一流より上の階級はありませんからね。

僕は一流でも何でもありませんが、個人的に孤高という生き方には憧れるところがあります。

No title
後付けになりますが、

確かに「一流の土俵にいる人」っていう表現は自分でも書くときこれでいいのかなって

一回立ち止まる感じもありました。

完全に僕から見ての押し付けでもありますよね。

でもおそらくですが本人達も一流とは言わずとも
自分の選んだ土俵ということでは何かしら自負を持ってそこから自分で汲み取った言葉を

自分もしくは他者に言い聞かすことが出来るのかもしれませんね。

僕はスポーツマンではないですし、ミュージシャンではないですが、そういう世界の人ですごいな~って精神論だけで格好いいなって思う人はたくさんいます。

でも同時に内心、彼らは自分の土俵を既に発見している人だからそう言えるんだって卑屈にもなる自分がいます、正直。

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