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延命的人生観のすすめ

(タイトルは完全に冗談でつけたので
 本当は人にすすめるようなものではない)

延命していると思おう。
本当はいつ死んでもいいんだ。
それをまた今日一日延命している。
生きている。

僕はいつ来るかわからない「死」という点に囚われすぎていた。
「先」にあるその点に「今」ががんじがらめにされていて
いつも冷や汗をかきながら生きていた。

そもそもの僕の人生観が否定的過ぎた。
生きるとはひたすら耐えること。
死ぬまでは我慢して生きること。
どんな罰も甘んじて受け、耐え続けること。
そんな償いの人生が僕の人生。
特に悪いことをした記憶もないが
生まれたときから償わなければならないのが決まっていた(ような感覚がある)。

別に誰かにそういう生き方をしろといわれたわけでもないし、
周りに同じような人生観の人がいたわけでもない。
なぜか小さい頃から僕はそういう生き方をしていた。
生きなければならない、というのが重荷になっていた。

だから生きなくてもいいんだと思うと肩の荷をおろせる。
別にいつ死んでもいいんだ。
生殺与奪の権利は僕が握っている。
生かされて生きるのではない。
自分で生きるんだ。

本当はいつ死んでもいいところを、
今日一日無理を言って生きているんだ。
本当はもう終わっているところを今日一日引き延ばしているんだ。
引き延ばしてもらっているんじゃない。
自分で引き延ばしているんだ。
いつもそう思って生きよう。

きっとこういうことを言っていると反論したくなる人がいると思う。
特に「いつ死んでも…」とか「生かされて…」のところとか。
僕なりにその人の反論はもっともだと思うし
僕はそれに対して特別反論は持たない。むしろ賛成する。

でも今の僕の状態では、上に書いたようなこと「こそが」
真実なのだから見逃して欲しい。
少し表現が過激になっているのは
こうでもしないと自分の殻を破れないと思うからで
どうか勘弁してほしい。


死に引っ張られすぎだ。
人生を死から取り戻さないと。
受身になっていた。
死に好きなようにいたぶられ続けながらもいつも半笑いでごまかしていた。
死んだような目をして。

いつまでもあちらの好きにはさせていられない。
常に首に小刀を突き立てているイメージで生きよう。
うっかり手を滑らせればこちらもあちらも終わってしまう。
そういう脅しで。
主導権はこちらが握っている。
それをわからせるために。
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ふっきれ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/07 16:48
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