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なすべき目的がないなら、どうして命を大切にすると言うことができよう

駒澤勝著 『目覚めれば 弥陀の懐』 という本を見つけた。
著者は小児科医らしい。
気になるところがあったので紹介させてもらう。
仏教の本だが、ここでは仏教に触れないので仏教嫌いの方はご安心を。


『加えて、この種の質問や問題提起は、人生をいかに豊かに、快適に生きるかの
 視点から起こるもので、人は、人生を(快適に)生きて、その上で一体何をすべ
 きかの視点が欠けている。
  平素私たちはさまざまな問題に立ち向かいながら、皆あくせくと一生懸命生き
 ている。人生を快適に、豊かに、長く生きることには全精力を費やしているが、
 多くの人は「一体何のために生きているのか」、あるいは「生きている間に一体
 何を為すべきか」についてほとんど何も考えず、全く問題にしない。』

『見受けるに、大多数の人がさまざまなパン(注:生きるための)を食べて、その上
 で何をすべきかを知らない。問題にもしない。
  確かに私たちが生きるには、さまざまなパンが必要である。健康以外にも、衣
 食住から始まり、政治も経済も、教育も道徳も、産業もレジャーも、平和も必要
 である。場合によっては戦争さえも避けて通れないことがある。科学も、芸術も
 そうである。環境学も、工学も、商業学、農学、社会学も歴史学も、生きるため
 には、みな必要である。
  でもこれらはすべて、自分や他人が生きるための手段であって、決して目的
 ではない。やはりパンに過ぎない。「他人のためになる仕事をする」「夢をかなえ
 る」「それが目的だ」、などと言うのを聞くことがある。でもその仕事や夢も、たと
 えそれが世界平和の達成や、大政治家、医学的大発見、第二のイチローであ
 ったとしても、ほとんどは言うなれば自分や他人のためのパン、つまり手段であ
 って目的にはなっていない。
  どうやら私たちは、ただパンを作るためにのみひたすらパンを食べ、パンを食
 べるためにのみひたすらパンを作り続けているようなものである。パン作りとパ
 ンの交換、パンの分配には随分長けてきたが、パンを食べて何をするかは、少
 しも問題にしていないことになる。』

『よく「命を大切にする」と言うが、それには二つの意味があると思う。一つは自殺、
 他殺はもちろん、健康を害するものを避けるなどして命を長く保つということ。も
 う一つは命を有効に使う、意義ある人生を送ることである。後者こそ本当に命を
 大切にすることになると思うが、もし生きている間になすべき目的がないなら、
 どうして命を大切にすると言うことができよう。「生きていなければこれこれのこ
 とができないから、命が大切だ」と言うのならわかるが、生きて特別何もするこ
 とがないなら、いくら命を長らえても命を大切にするとはいえないはずである。』


以上、問題の出発点が僕と同じなのでブログに書かせてもらった。

僕は仏教に興味を持っているが、それでも仏教の本はごく一部しか読まない。
書店には仏教の本が意外にたくさん並んでいるが
心が軽くなろうが、楽に生きられようが、苦しみがなくなろうが、
そんなことは僕にとってはどうでもよくて、二次的で、
そもそもそれ以前の「なぜ生きるか」を問題にしてくれないので読む気にならない。
(本当の宗教とはそんな小手先のものじゃないはず)

為すべきこともないのに
「幸福になった」「成長した」とはしゃぐ気にはなれない。
自分を喜ばせて、そこから「何を為すか」という問いが出てくるのに
多くの人は自分を喜ばせたその時点で満足してしまう。

案外同じような悩みを持っている人がいないようだから、
この本を見つけたときはちょっと安心した。
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好きなことば | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/22 22:40
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