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それが本当の宗教か

今の世の中には宗教が足りないと思う。
むしろ多すぎるくらいだと言う人もあるだろうが、
僕の言いたい宗教とはそういうもののことではない。

僕の中では宗教とは
「いかに生きるかとの問いの場に在ること」という程度に考えている。
世界に宗教は数え切れないくらいあるだろうが、
まともな宗教に共通しているのはきっと「自我の死」だと思う。
それゆえに宗教は危ないものになる。

世の中に宗教が足りないと言ったのは
「危ないもの」が足りないという意味だ。
もっと言うなら常識しかないということ。
常識や倫理しかない。
常識外・規格外・世間外・道徳外がない。
日向しか見ずに日陰をなかったことにしている。
社会(世間)がきちんと整えられすぎていて、逆に人間として不自然だ。

常識があれば必ず非常識がある。
でも非常識はないことにされている。
社会の中に常識と非常識を共存させるのは困難だが、
それを許す数少ないものが宗教で、それが宗教の社会的な役割だろう。

宗教の究極は「自我の死」なのだからどうしても非常識な面を持つ。
宗教家には「生きなさい」と杓子定規に言うイメージがあるかもしれないが、
本当の宗教家なら時には「死ね」とも言うはずだ。
「生きろ」と「死ね」をその場に応じて使い分けるのが本当の宗教家だろう。
「死にたい」という人がいたら
「そうか。わかった。」と己の全存在を賭けて引き受けるのが本物ではないか。

あまりにも固定観念にとらわれすぎている。
本来それを壊す役割を持っていた宗教がもう機能しなくなったからだ。
でも今さら「宗教」と言っても
既に強烈なイメージが出来上がっているからその言葉は役に立たない。
代わりに「スピリチュアル」という言葉が流行っているが、
これもたいていは「より良く生きよう」という
固定観念の枠内のものなのでインパクトが弱い。破壊力がほぼない。
「宗教」に代わる新たな言葉がないものか。
本人に宗教と気付かせずに宗教をやらせるような。

「宗教家」と言うと大体の人が
「善の塊のような人」及びそれを演じきっている人か、
もしくは新興宗教の危険な教祖のイメージを持っていると思う。
でも、(後者は論外なので置いておいて)
本当に人生に対して真摯に向き合った人が「善一辺倒」でなどあるわけがない。
むしろ優れた宗教家であるほど善よりも悪に馴染みがあるはずだ。
(悪人ということではない。)
そのことをもっと知ってほしいと思う。
善・正義至上主義の裏で泣いている人がどれだけいることか。

宗教というとただの善という仮面でしかないと思われている。
でも本当の宗教とはあらゆる固定観念を壊していくものだ。
世間が善しか見ていないなら悪を突きつけるのが宗教だ。
世間が倫理・道徳しか説かないなら
学校の「道徳の教科書」を燃やしてしまうのが宗教だ。
よく「これは例外」と言う、その例外が平然と起こり得るのが宗教だ。
「これは正しい」「これは間違っている」と簡単に割り切りすぎだ。
その割り切れない部分にこそ宗教がある。

あらゆる固定観念を壊していって
最後に壊すのが「自分」という固定観念だろう。
本当の宗教なら必ずそこに行き着く。
だからこそ宗教は危険でもある。

宗教、宗教と何度も繰り返したので嫌な思いをされた人もいると思う。
僕自身「宗教」という言葉はあまり好きじゃないしできれば使いたくない。
一応断っておくが、特定の教団に入信するのを勧めるわけではない。
「組織」ほど固定観念がはびこりやすいところはないからだ。
僕が言いたかったのは要は“固定観念を壊したい”ということに尽きる。
固定観念を壊すような発言はエネルギーがあるときにしかできないが
またポツポツと今後書いていこうと思う。
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固定観念を壊す | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/09/17 14:10
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