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ビーズ玉の音楽

僕という存在は
生まれた地点から死ぬ地点にまで張り渡された一本の糸、
その糸に通されたいくつかのビーズ玉の束なのかもしれない。

死へと縦方向に進んでいく。
糸に緩みがあれば玉は横へ振れることもできる。

何もできない僕は、糸がピンと緊張していて玉が横へ動くことがない。
趣味、楽しみ、しなければならないこと、
こういった横の動きができずにただ定められた真っ直ぐ縦の動きをするしかない。

糸の緊張が強いのは糸が切れてしまうことを恐れているから。
糸が切れれば繋ぎとめるものを失ったビーズ玉が方々へ散らばってしまう。
無秩序に、散漫に。
それが怖い。

でももしかしたら
この糸を切ったところにこそ生死を超えた本当の自由があるのかもしれない。
拘束を失い、飛び散るビーズ玉が一つの音楽を奏でる。
縦にも横にも引かれない、
どこからの引力も受けないその玉の一つ一つが
その場所一杯に響き渡る。
「今」の隅々に。「今」となって。
さえぎるものが何もないから。

最近そんなことを思う。
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人間観 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/10/22 15:26
コメント
No title
素敵な日記ですね。

"拘束を失い、飛び散るビーズ玉が一つの音楽を奏でる"

少しずれるかも知れませんが…、
自分の内側に流れている「音楽」を聴くこと、
私も大切なことだと思います。

表層の雑音ではなくて、深い部分に流れている「音楽」…。
雑音
コメントありがとうございます。

僕は内側の音楽を聴くことをすごく大切にしています。

深い部分から出てくるものの言いなりになるのもどうかと思いますが、
表層だけで生きるのも嫌ですよね。

「ああした方がいいんじゃないか」
「こうすべきじゃないか」
“あたま”の中は雑音で溢れています。
なるべく“こころ”の声に耳を澄ましたいですね。

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