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めずらしくスピリチュアルについて

最近スピリチュアル系のブログをいくつか見る機会があって、驚いた。
どこかの誰かのブログでよく見るような文章が書かれていた(笑)
もしかしたら僕のブログはスピリチュアル寄りに分類されるのかもしれない。
今まで合理に合理を積み上げて(論理ではない)やってきた
自負があるだけに驚いた。
そういえば僕はよく神とか仏とかいうフレーズを使う・・・。

スピリチュアルについては、ブログで書いたかどうかはわからないが、
それがサプリメント感覚で摂取されていることや
人間中心主義の延長でしかない(と思える)ことから
あまり好感は持ってこなかった。

でも、彼らの言っていることはそんなに間違ってはいないとは思う。
僕のわかる範囲では。
少なくとも自我に関する認識については僕も共感できる。
「真我」とか言い出すと僕はお手上げだが。
人間の心理作用を徹底的に分解していって浮かび上がってくる「自我」、
これに対する認識や洞察は正しいと思う。

ある意味で、大昔から伝承されてきた人間に関する知恵が
スピリチュアルによって再び多くの現代人に継承されていると言える面もある。
そう考えると単純に批判もできない。

ただ、“人間は幸福になるために生きている”というようなことを言われて、
もちろん慰められたり幸せに生きられるようになる人もいるだろうが、
これはそんなに簡単に誰でもが口に出せるような言葉なのだろうか。
その重みのなさに僕はひっかかる。

同じ言葉でもそれを言う人のリアリティによって
大きく変わってくるものがある。

「いまここ」というのもそうで、
確かにそれを意識することで生きやすくなることは十分にあるだろうが、
「いまここ」をもっと徹底的に押し進めて
自分の生きてきたこれまでをすべて捨てて、
これからの可能性もすべて捨てて、
何もかもなくしてしまおうというそういう覚悟をしたことのある人のいう
「いまここ」というのはおそらく多くの人のそれとは大分違う。

僕は「いまここ」という言葉の真価は、
生きやすさや感動を得るために座右の銘にすることではなく、
そうして生きることが人間の道理だと「覚悟」した人に使われてこそ
発揮されるものだと思う。

己のリアリティから切り離されたものを
皆が平板に呪文のように繰り返していると
宗教の教団にしてもスピリチュアルの人にしても、
どこか近寄りがたい雰囲気が出る。
反対にどんな非常識なことでも
それがその人の誠から出たものなら尊重したい。

僕はやっぱり「さぁ、宇宙の大いなる目的に従って生きよう」と言う人より、
最近紹介した相田みつをとか宮沢賢治のような人が
ひたすら自己と向き合っている姿を見せられる方が
背筋が伸びるし、強く清く生きようと思う気持ちになれる。


*単なる個人の感想です。
スピリチュアルについてもほとんど知らないのに書いてすみません。
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世の中 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/11/17 21:44
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