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“己”を打ち建てる

“嫌なことがあってもこれからいいことがある”
“明けない夜はない”
“大きな視点から見れば些細なことだ”
“ピンチはチャンス”

ずっとそういう甘い言葉を遠ざけてきた。
浮ついたものとしてきた。
いわゆるプラス思考。

でもそれらの考え方を実践してみると確かに気が楽になる。
上手く生きていく上では確かに有効なもの。

でも僕は楽になりたくなかった。
地獄の底にどっかりと座りこんで、
歯を食いしばって黙って耐えながら、
その中から出てくるものだけを“本物”とした。

浮ついたものは徹底的に遠ざけ、
一時的な感情の起伏には振り回されないようにしてきた。

苦しみだけが僕の唯一の原動力だった。方向性だった。
だから慰められるのも心を軽くするのも避けた。

どこにも方向性を見出せなくなった数年来の僕にとって
唯一持つことができた方向性が“苦しみ”と“人間はいつか死ぬ”だった。
それによって僕の混沌は何とかギリギリのところで秩序を維持し、
“悩む”ことができた。
“真理を掴む”という方向性と原動力が与えられた。

けれどもずっとわかっていた。
“悩みが解決した後どうするのか、何もない”。
かなり意識的にわかっていただけに厄介だった。

僕はある意味マゾヒスティックだった。
己を痛めつけて痛めつけてそこから出てくるものだけを人間の“本当”とした。
人から与えられたものでは安心しきることができないのはわかっていたからだ。

よく人のいう、“一瞬一瞬の幸せ”というのは僕から最も遠いものだった。
けれども僕のたどり着くべき“答え”がそこにあるのはわかっていた。
ただ僕はそこへたどり着くルートを自分で歩まねば気が済まなかった。

人生という「生まれてから死ぬこと」の正体がわからないのに、
しかも既にそれに参加しているのに、
一瞬一瞬の些事に気を向けてなどいられない。
一刻も早く解明しなければならないことがあるのに、
それを忘れて日常に打ち込むことはできない。

でも僕の求める答えは確かにそこにある。
人生という“時間軸”から降り、“瞬間”に解体されること。
抗いを止めて虚無に飛び込み、それでも“要諦”を掴んでいること。

苦しみがなくなれば何もすることがない。
―なら人生を謳歌すればいいじゃないか。

それができない僕はこんな面倒なプロセスを踏んで
それをやろうとしている。
己の中に己だけに通用する建造物を打ち建てることによって。
そして僕は初めて僕として生きようとしている。
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「自己」を見つめる | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/22 21:42
コメント
甘い言葉
“嫌なことがあってもこれからいいことがある”
“明けない夜はない”
“大きな視点から見れば些細なことだ”
“ピンチはチャンス”

僕も、こういう甘い言葉をカンタンに言われると、非常に違和感を覚えます。
だから、そんなことを軽々しく言う側には、なりたくない。
かめさんとは少し方向性が違う気もしますが、そう思っています。

せめて、
「こんなこと言うだけならカンタンだし、言葉にすると嘘くさいけど」
ということに触れながら言って欲しいですよね。
そういう前置きもなく言われると、
「自分がうまくいったからって、それを見せびらかしたいだけかよ」
と思ってしまいます。
そう思う僕がひねくれすぎているのかもしれませんけどね。
存在として
まこっちゃさん、コメントありがとうございます。

>「自分がうまくいったからって、それを見せびらかしたいだけかよ」

本当にそうですよね。僕もそう感じます(笑)


記事で書いたような甘い言葉も、
自分が生きていく中でしみじみとそうだなぁと思って言ったのだったら
許せるような気もします。


変な例えですが、
老人になった自分がいたとして、
目の前にちょうど今の自分のような悩み苦しむ若者がいたとします。

その若者に対して老人の僕は“甘い言葉”を言ったとしても、
そのときは「自分はこう生きた」という責任において言いたいです。
「良くも悪くもその信念の果てにあるのが今の自分だ」と存在でもって示したいです。
言葉ではなく。

強制させるんじゃなくて、やっぱり示したいですね。
「僕はこうして生きた。君は君で頑張れ」と存在で語りかけたいです。

そういうのが格好いいなと僕は思っています。

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