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一体楽な人生とは

二十歳前後の頃、老子のタオに関する本を読んだことがある。
まだ若かったためかモロに影響を受けた。

広大無辺な宇宙に思いを巡らすと、
たった数十年しか生きないこの自分というものが
とてもちっぽけなものに思えた。
少し欲しいな思うものがあっても、
また、少しカッとなることがあっても、
「どうでもいいこと」として放っておくことができるようになった。
生きるのが楽になったと言ってもいいかもしれない。

でも、何かがおかしいとは感じていた。
1ヶ月もなかっただろうが「楽に生きて」いく内に、
自分が何かとんでもない間違いを犯しているような気持ちが
段々大きくなってきて、ついには焦燥感に変わった。
それで衣を脱ぎ捨てるように、慌てて全部放り出して距離を取った。

すべてのことが「ほんの些細なこと」になってしまって
それでも生きる人間という存在にむなしさを感じた。
その思考法には恐怖すら感じた。

僕の読み方が甘いのだろうと思ってそれから老子について考えるのをやめた。
あの思考法も止めた。

おそらくあれを実践すれば「楽に生きられる」と思う。
苦しみは随分減るだろう。
トラブルも減るに違いない。
別に老子に限らず「心を軽くする」思考法を教えてくれる本は山ほどある。
それを実践すれば多分楽に生きられる。

でも、僕にはそれはできない。

一段高い境地に立って「下界」を見下ろしたり、
善人ぶって気持ち良くなっている自分自身に嫌悪感を抱いた。
苦しみがなくなったところで空しいだけであることに気付いた。

だから、止めた。
正確には、抵抗を感じるからやろうとしてもできないだけだが。

余談だが、「善いことをしましょう」というスローガンに
幼少の頃は忠実に従って生きてきたが、
またまた善人ぶっている自分自身に嫌気がさし、
善いことをするのを全く止めてしまった(笑)

この極端さはこれはこれで問題だろうが、
自分の中の「何か」がそこに抵抗を感じる以上、
その「何か」が納得する生き方を発掘していくより他に
「この自分」を生かす道はないと思う。
離れたくても結局離れられないからだ。
「避ける」という仕方で結局「関与」してしまう。

本当に人が生きるというのは
一括りに語ることができない事態だと思う。
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人生観 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/01/08 16:20
コメント
同感です
「同感です」というのは、
僕も同じような体験をしました、ということではないですが、
かめさんのおっしゃること、よくわかる気がします。

杜子春も、最後には危うく殺されるところだったといいます。
結局のところ、人間は人間であり、仙人ではない。
人間として生まれながら仙人になろうとする心持ちのほうが、そもそも誤っているのでしょう。

人間として生まれることを選んで生まれてきたわけではないのに、
何とも不条理なことだと思いますが。
まこっちゃさんへ
そうですね。
仙人にはなれませんね。

でも、苦しみのない世界に行けたらなぁ、とそんなことばかり考えています(笑)


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