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大学時代をふり返って

少し自分自身の大学時代を回顧してみる。
あくまでも自分自身の回顧のためなので
説明が不十分であることにはご容赦下さい。

僕は大学で臨床心理学を専攻していた。
入学してまず、ユングという精神科医に惹かれた。
というよりもそれを紹介する河合隼雄という心理療法家に惹かれた。
実際に教えを受けたわけではないが河合先生という存在は
僕にとって大変に大きいものだ。
今の僕のとりあえずの人生観や人間観は河合先生による影響がかなり強い。

けれども僕は大学時代にユング(河合先生)の思想に(熱中する自分自身に)
3回失望した。
3回とわざわざ覚えているのはそれがとてつもなく大きなものだったからだ。

理由は細かく見ればそのときによって様々だったが、
一言でまとめていってしまうと、
「普遍的真理」を欲する「純粋な好奇心」から求めていると思っていたのに、
実は、「答え」を与えてくれそうなもの、拠りかかるもの、熱中するもの、
安心させてくれそうなものを求めているに過ぎないと気がついたからだ。
自分という存在の弱さをまざまざと見せ付けられた思いだった。
そして同時にそんな「埋め合わせのもの」はどこにも存在しないことも直感した。
だからそれが失望に繋がった。

ユングに失望している間には、
人間性心理学のいくつかや、前回書いた老子など東洋思想、
フロイト後の精神分析のいくつか、などと色々興味の対象を変えたが、
失望体験が深まってくるにつれてどれにも「心酔」「熱中」できなくなっていた。
3回生の頃にはフランクルに非常に興味を持ったが「ハマる」ことはできなかった。

何かにハマることは「何か大事なこと」から目を背けることだと思った。
そのあり方が盲目的なものに思え、無軌道的なものにも思えた。
そう「思ってしまった」らもうその観念から逃れることはできない。

いっそ「すがって」しまえたら楽なのにと思った。
僕の在籍した大学にはユング好きの学生が多分他の大学よりも多かったと思うが、
僕は彼らのことを皮肉をこめて「ユング教信者」と陰口をたたいていたが、
いっそ自分もそうなれたら楽なんじゃないかとも思った。

周りの学生が気楽に生きているように思え、
考えれば考えるほど悩みが深くなっていく自分に苛立った。

本当は僕の方が本質に近いんだという自己防衛からくる独善的な思い込みと
実はとんでもない間違いを犯しているのは僕の方なんじゃないかという
インプットされた世間の常識観念とを両方同時に抱え、
両方の極の間を行ったり来たり頼りなげに揺れ動いていた。


まだ長くなるから後半はまた次回に書くことにする。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/01/10 21:12
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