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「自分」という壁を立てないこと

自分をさらけだすとは。
最近このテーマばかりだが。
メモ感覚でまとまりなく書く。

神や世界との間に「自分」という壁を作る。
そうすると例えば、声を発したときに
その声が壁に当たってはね返ってくる。

自分のまわり一周が「自分」という壁で覆われていたとしたら
発したその声はその密室内で反響、増幅する。

これが妄想。
頭の中で鳴り響くノイズ。
猜疑心や罪悪感、疑念など。
はね返ってきた自らの思いによって惑わされる。
自分で自分の発した声に振り回される。

骨伝導というのもある。
外部の音を聞くのでなく内部の振動を音として知覚する。
こちらが本当の自己の声では。

カラオケを例に。
発した声がマイクを通して部屋中に反響する。
この声はもはや自己の声ではなく外部の物質だ。
その声が耳に入ってくるときそれは対象化された声となっている。
内部の声はそうではない。
でもカラオケでは内部の声(振動)は
(マイクを通した)ノイズにかき消される。

壁がなければ声は返ってこない。
捨てっぱなし。
自己の声を改まって「自己の声」として聞くこともない。
本当の自己の声は骨伝導として聞こえる。
その振動そのものが自己。

声を発するのと内側が振動するのとは同時だ。
放り出すのと受け取るのとは同時だ。
捨てるのと得るのとは同時だ。
もし壁を作らずに放り出すなら、
ノイズに邪魔されず、内側の声を聞くことができる。
(内側の声と言ってもそれは「自己の声」ということではなく
「声そのもの」が自己だということ。)

「受け取る(受動)」という方面を強調して見るなら、
誰かから与えられている訳で、
それは神とか世界というもの。
「自己」という壁に当たり反響した声を受け取るのではなくて
神を聞くということ。
自己が神の目的語になるということ。

壁に当たり反響した声というのはつまり
「自分はこういう人間だ、こういう特徴がある」など。
自己で自己を認識するときのその内容。
これらは自己ではなく、所詮自己外の対象物に過ぎない。

「聞く(能動)」という方面を強調して見るなら、
ノイズでない、自己を聞くということ。
自己が振動になるということ。
自己が神にアプローチする主語になるということ。

そう考えると自己も神も別物ではない。
自己を目的格として捉えるならその主格を想定することになるし
自己を主格として捉えるならその目的格を想定することになる。
「神にすべてをさらけ出す」と最近しつこく言っているのは
この辺りのことを感覚的に捉えた表現。

念仏というのもこの文脈で考えなければならない。
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我(ガ) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/01/29 15:46
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