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『真実』とは何なのか

今まで特別に定義も説明もしないで仏教関連の言葉を
使っていましたが、
紹介の意味も込めて、今回少し書き出してみます。
仏教というよりは自分の考えていることではありますが。


言葉によって世界を切り取る。
意味付けをし、それを他と区別する。
そうして出来上がった意味の世界。
個々別々の存在によって成り立っている世界。

諸行無常、諸法無我。
それらの存在は確かな存在ではない。永遠不変でない。
常に変化している。無常とは常でないこと。

誤解を承知で言うなら、
色即是空とは、存在は存在ではないということ。
矛盾。
でもこれは日常の意味の世界の論理では矛盾するだけで、
それを矛盾としないで統合・統一する論理があれば
矛盾ではなくなる。

浅い統合論理では矛盾となるものも、
それを含むさらに深い統合論理では矛盾とはならない。
矛盾とならないから深い・高いという。

意識は統合・統一作用。
心的現象を常に統合している。
秩序に基づいて統合している。
その秩序にも高低がある。
「個人差」というより、
ここで言う「低」は普通、人が持つようになる意識で、
「高」と言うのはそれを含みさらに発展させた意識。

低次の秩序とは、意味によって分節化された世界のことで、
この世界での代表的な秩序は、
「因果律」「時間」「空間」「主観・客観」など。
厳密に考えたわけではないがだいたいこんなところだろう。

僕らが生きていて『この世界』に根本的な矛盾を感じないのは
これらの秩序に基づいて世界を概ね統合できているから。

明日の次に昨日がくることはない。
一秒後に地球の裏側に移動していたということはない。
時間も空間も矛盾がないために、
意識の中での統合秩序として重要な位置を占めている。
この秩序に基づいて思考を進めても特別矛盾は起きてこない。

なぜこれらの秩序を浅い統合と言うのか。

深い統合世界を『真実』というとすると、
浅い統合は『迷い』ということになる。

概ね矛盾のない秩序ではあっても、
その根本に矛盾を抱えていれば当然どこかでひずみが生じている。
でも、その矛盾を呑み込む秩序があればひずみは生じない。
つまり統合不全にはならない。

「低」と「高」とが全く別々に存在するのではなく、
「高」が「低」を含む、
言い方をかえれば、
「高」の不十分な状態を「低」と名づけるために、
「高低」「深浅」といい、また「真実と迷い」という。

ただ、ここでいっているのは、単に程度を表すような
『真実』よりも、『さらに真実』があり、さらにまた・・・
というようなものではない。
『真実』は『真実』として尽きている。

『さらに深い真実』が仮にあったとしても、
人間が生きていく上では必要がないか、
または認識すらもできないことなのだろう。
『真実』がわかれば人生上のあらゆる矛盾がなくなる、
つまり、破綻なく世界を統合できる。
破綻が起きないから「尽きている」という。
先人のいう『悟り』というのはそういうものだろう。


続きと整理はまた次回に書きます。
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仏教風景 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/03/03 17:42
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