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いつもの草、ごめん

もし怒りや嫉みで空気を澱せているならそれは悪だ。
それ以外に罪はない。のか。

罪悪感が卑屈な感情を生むなら、それ自体が罪。
神があるから罪悪感があるのではなく、
罪悪感があるから神を必要とした。
許しを請うものを必要とした。

罪悪感は宗教的な感情ではなく、倫理的な感情。
つまり「世間」というものを背負った人間の宿命。
倫理は人の道。
それがなければ社会は成り立たない。
人間の社会的な性から生じてきたもの。
でも宗教は人間そのものの性から生じてきたもの。
宗教は本来、罪悪感を突きつけるものではなく、
罪悪感を克服する道を示すもの。


散歩した。
道端の草を見て春がもう来ようとしているのを知った。

いつも空気を澱ませて申し訳ないなと思う。
いつも歩きながら発する僕の陰鬱なオーラは
さぞかし周囲の草達を苦しめているだろう。

人に対してはなかなかそうは思えない。
草は無防備だから心を開ける。
人間だと構えなければならない。
こうきたらこう返す。
押してくるなら引くか避けるか受けるか押し返すか。
引いていくなら追うかあきらめるか忘れるか。

こちらとあちらがあるから関係ができる。
そういう意味では草と僕との間には関係がない。
感応。
相手が開いているからこちらも開くことができる。
モノ化することによって自らもモノ化される。
自ら閉じたがるのが人間。
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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(1) | 2012/03/11 16:32
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もし怒りや嫉みで空気を澱せているならそれは悪だ。それ以外に罪はない。のか。罪悪感が卑屈な感情を生むなら、それ自体が罪。神があるから罪悪感があるのではなく、罪悪感があるから神を必要とした。許しを請うものを必要とした。罪悪感は宗教的な感情ではなく、倫理的な...

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