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今さらこの身が惜しいものか

“いまここ”

また問題を抱えること、
考えることで自分を保っていた。
しがみついていた。

“努力すること”
“ステップアップすること”
“成長すること”
“着実に歩むこと”
“誠実に生きること”
“問題意識を持つこと”
“探究すること”
“自覚的であること”
“自己を律すること”

こんなものは手放してしまえ。
自分が自分でなくなる、
それくらいのところを通らなくては意味がない。

“自己だけは譲ってはならない”
これには表の意味と裏の意味がある。
世間では表の意味しか言わない。
言わなくていい。

“絶対に譲ってはならない最後のもの”
それを譲るからこそ意味がある。
「譲る」だけではない。
「譲ってはならないものを譲ってしまう」ことに意味がある。
だから世間では表の意味だけを言えばいい。
それを越えるかどうかは個人の問題。
僕はそれを越える。

今さらこの身が惜しいものか。
もうあと一分一秒も生きていたくない。

“僕は越えるんだ”
“はて今日は何月何日だったかな”
“ここは自宅か”
“はあこういうタイミングか”

“越える”というそのことをも自己の所有物としようとしている。
自分にとっての記念日にしようとして
縁起物を探すこの心。
“劇的なもの”“運命的なもの”“必然”
結局お前もそういうものが欲しかったのか。

あと一分も延命したくないと言いながら、
“越える”にあたって今日このタイミングでいいかな、
などと考える愚かなこの心。
「『小石が竹に当たった音を聞いて悟る』
 とかならちょっと格好もつくが、
 『くしゃみした拍子に』とかは嫌だな。
 『自分のいびきを聞いて』なら『逆に』趣もあるかな・・・。」
などと。

結局損得勘定だ。
“欲しいものよ来い。欲しくないものは来るな”

“いまここ”というのは単なる慰めの生易しい言葉ではない。
本当の意味で“いまここ”に徹するというのは、
何も求めない。何も選ばない。ということだ。
単なる肩の荷を降ろさせるための呪文ではなく、
“己”を殺す意志の炎だ。

好きなタイミングがくるのを待っているうちは一生そのままだ。
例え、髪を紫に染め上げたおばあさんが目の前を歩いていようと、
いつも見慣れたくだらないCMを見たことをきっかけに悟ろうと、
すべてを受け入れて徹するのが本当の意味での“いまここ”だ。
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いま・ここ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/03/25 14:29
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