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報われない問い

2006年9月14日

きっと○○をすることも、△△に熱中することも、僕が望んでいることではない。
僕の望みというのは、僕が今直面している「何をすべきか」という
この問いに答えることだ。
その問いは「なぜ生きているのか」とか「人生とは何か」という言い方もできる。

きっと何をしても、この問いに対する答えにはならないだろう。
ただこの問いを紛らわすことにはなることかもしれない。
でも、一度この問いにとり憑かれたらもうこれを無視することはできない。
恐ろしいほどの力を持って僕を捕らえて放さない。

そして僕に命じる。
「何かをしろ」と。

でも、僕には何をすればいいのかがわからない。
以前は、○○をしたり、△△をしたり、という人としての当たり前の生活を
すればいいのだと思っていた。

でも、それは違うのかもしれない。
果たして、それらの事をしたところで僕の望みは叶えられるのだろうか。
きっと気を紛らわすことはできても、本当の満足は得られない。
もしかしたら、そもそも満足などできないものなのかもしれない。
いつ折り合いをつけるか、それが鍵なのかもしれない。
かと言って、中々この問いからは逃れられそうにない。



この問いは今も持っている。
というより、今はさらに自分の中の大きなものとして居座っている。
報われない問い。
2006年に書いたものだからこの問いを持つようになって
少なくとももう6年以上になるのか。

報われる問いならいい。
でも既にこのときに感じていたように、これは何をしても報われない問い。
それでいて放棄することのできない問い。

「何かをしろ」という。
「では何をしろと言うのだ」と聞く。
返事は返ってこない。
フラストレーションだけが残る。
それを発散することは一応はできる。
でも発散した後の虚脱感が予想できるからしない。
溜めたまま。

「何」に当てはまるものはない。
見つけていないのではなく。
どんな選択肢を用意しても無駄である。
これは何べん人に説明しても伝わらなかった。
また自己にやましさがあるからあまり言いたくもなかった。

最近その問いを持ったまま生きればいいと
アドバイスしてくれる人があった。
折り合いをつけることを目指すのはいつ頃からかやめた。
苦しい苦しいと言いながらもその問いに答えることのみを願った。
今も勝負の途中。
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決意・覚悟 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/08/01 20:52
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