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「未セーフ」というセーフ

他の人を批判する。
至らない人だなと思う。
僕の場合は、本など見ていて
「この人はわかっていないな」などとよく思う。

批判して切り捨てる。
特に第三者なら。

批判している間の「僕」は「問題ない僕」。
僕は常に「セーフ」であろうとする。
「セーフ」が基本。
だからセーフでないと感じてしまったときは、
努力する。今から解決する。と意気込む。
つまり「未セーフ」という形でセーフにしがみつく。
「セーフへの途上」と思うことで自分を許す。セーフを出す。

誰かが何か失敗するのを見る。
その瞬間「あの人は駄目だな」と決め付ける。切り捨てる。アウト。
でもこれが自分の場合、「これからなんとかする」と言い訳をし、
セーフとする。

他人の場合はそんなことは考慮しない。
その瞬間でアウトを出す。

他人も途上の人なのだ。
いや、人間皆。
でも、本当は途上の人なんていない。
それは自分で作った言い訳にすぎないから。
アウトはアウト。
この記事で言いたいのは“相手にも寛容に”だけではない。

僕はどうしても自分を「アウト」にできない。
他人なら簡単にできるのに。
この身びいきの根深さにはゾッとする。

僕が他の人を簡単にアウトにできるということは、
僕も簡単にアウトになるということ。
僕は至らない人間なんだ。
でも、その事実をそのまま受け入れられない。
「…でもこれから努力します」などとすぐ言い訳をする。
そうまでして存続させたい自我。

他の人も「途上の人」。
そう思うと少し見方が変わる。
その人の人生の中での「途上」なのではなくて、
人間皆何かの途上を生きている。何かの。

僕は以前、「自分の中に他の人を見る」と言ったが、
あれは間違い。
「他の人の中に自分を見る」。
僕らは個人の夢を越えて皆「途上の人」。
そこにおいて他者と通じ合える。
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他者 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/08/17 21:48
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