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感謝の自己満足

僕は『感謝しよう』という発言に対してはいつも距離を置いている。

例えば「手足のあることに感謝しよう」という場合にて、
僕が言われた通り感謝しようとするなら、
それは手足のない人と比べて自分が恵まれているから感謝しようと
しているように思えてくる。
自分の中のそんな気持ちが許せない。

「ありがたい」が人より恵まれているから「ありがたい」のだったら、
それは自己中心的な心ではないか。
この自分をよしよししたい心。

「手足がある。だからありがたい」というよりも、
「ありがたいことに手足がある。これで手足を使える」という気持ちの方が
有ることが難いとの本義に適うし、これなら共感できる。

「○○だからありがたい」と言う場合、
大体が自分を慰めてくれるものに対してむけた感謝だ。
しかも現代人は欲張りなことに、
マイナスを与えれてもそれを「糧」といって喜ぶほどだ。
どんなものを使ってでも自分を慰めようとする。
僕は『感謝しよう』の言葉にもそれを感じてしまうから一歩引いてしまう。

この種の感謝には反対語がある。「不満」「愚痴」。
自分を喜ばせてくれるものを歓迎する心は、
自分を害するものや喜びを妨げるものに対しては翻った姿を見せる。
愛憎も同じ。

現時点を肯定するための「ありがたい」はそういう傾向を持つ。
それに対して、「ありがたくも○○がある」という心には、続きがある。
「これを使って○○できる」というものだ。
これがあってこその感謝だろう。
これは奉仕の心。
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我(ガ) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/08/24 20:13
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