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爆弾投下

僕が今までで一番つらかったと思うのは、2010年。
その頃に考えていたことはとてもブログには載せられないから
これまでは書いてこなかった。
でもふいに爆弾を投下したくなった。

この頃に書いたものは見るだけで気分が重くなる。
こんなものを人様に見せていいのか、とも思う。
でもなぜか投下したくなった。



2010年4月5日

死のうと思ったときに、
この世界にはそれを後押ししてくれるものが山ほどあることに気づく。
普段は流せているものも、死にたいときにはそれがいやに目に付く。
この世界は嫌なもので溢れている、と思う。
そしてより一層死にたくなる。
一刻も早くこの世界からおさらばしたくなる。
なぜまだ生きているんだろう。
未練はない。ただ、死ぬ日と死ぬ方法について全然考えられない。
そのくせ、いつも今日で終わりなんだなと思いながら外に出る。
帰るところがないからふらふらとさまよう。
でも結局帰る。
それが腑抜けだからといって奮起するわけでもない。
そういうのがもう嫌になったのだから。
ふらふら。
毎日今日で終わるんだなと思いながら。

なんでこんなことになったかなあと毎晩ふとんの中で思う。
僕の人生これで終わりか、と思う。
こんな終わり方か、と。
別に終わり方に不満があるわけでも希望があるわけでもない。
もうそういうのに疲れたのだから。
でも、なぜか少し涙が出そうになる瞬間がある。
未練じゃないと思う。
なにかとても悲しくて寂しくなる。

4月9日

僕はいつ死んでもいいんだ。
ただそれでも生きていたほうがいいというのであれば、
生きていてやるさ、身体は。
罪を犯し続けるくらいなら死んでしまえというなら、喜んで死んでやる。
こっちもそれを望んでいるんだから。
ただ、こんな魂の抜けた廃人でも死なずに生きていなければ駄目だと言うなら、
まあしばらくは生きていてやってもいい。
いつ死ぬかわからないけど。
何様のつもりだと言うなら、別にいつ死んでもいいのだから。
生きたくない。でも身体だけ、形だけは生きといてやる。残しといてやる。
それが駄目ならさっさとそう教えて欲しい。
いつでも死ぬから。


よく思うけど、僕が今まで生きてきたのは奇跡だ。
死んではいけないとかそんな信念なんかとっくに崩れ去った。
それでも僕がまだ生きているのは偶々だ。
耐えられるから耐えてきたのではない。
とっくに耐えられる限界なんか超えている。
本人には負けっぱなしの感覚しかない。

“死にたい”と“死のう”との間には天と地ほどの違いがある。
“死にたい”は感情だ。“死のう”は意志だ。決断だ。
上記の日記には死ぬ方法が見つからないと書いていたが、
これから後には、いつ・どこで・どうやって死ぬか、遺書は書くか、
書くとすれば何と書くか、とそんなことばかり毎日考えていた。

別に思いとどまったわけではない。
思い直したわけではない。
“あとは実行あるのみ”という段階を経ながら、
それでも今まだ生きているのだから、
これはもう偶々としか言いようがない。
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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/10/14 16:49
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