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心の歯車

最近『心の歯車』ということをよく考える。

心というのはいくつもの歯車が組み合わさってできているものだと
考えることもできると思う。
その歯車と組み合わせにどこか異常があると全体の働きに支障がでるし、
もしかしたら全く活動が止まってしまうこともよくあることだと思う。

例え小さな歯車でもそれがなくなってしまうと
全体が動かなくなるのだから中々単純には扱えない。

感情と理性の歯車が上手くかみ合わないと心の働きは鈍るし、
世間の価値観と自分の価値観との間のズレも実は歯車のズレで、
余計なところに力がかかったりして効率よく心が働かなくなったりする。

意識の上ではやりたい(やらなければならない)と思っているのに
気力が全く出てこないということは僕に限らずよくあることだと思うが、
それもどこかで歯車の大きさや形、
またその組み合わせが上手くいっていないのだろうと思う。

人それぞれその動かし方が違うのだから、
「こう生きるのが正しい」とか「こう考えなければならない」という風に
たった一つの形(設計図)に全員を押し込めようとすることが
いかに無理のあることか。

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人生観 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2011/02/14 21:24
コメント
そうですね
そもそも、噛み合うことのほうが珍しい。
・・・そういう認識から出発するほうが妥当なんじゃないか、って気がします。

なんて言い出したらルールもへったくれもなくなって、
社会をまともに運営していくことはできないでしょうから、
通常は、組織をまとめる上では、その辺はうまくカモフラージュして伏せておくのが“正しい”のでしょうけど。

でも、
そもそも噛み合うことのほうが珍しいからこそ、
「噛み合った」と実感できた時に、
その奇跡をしみじみと感じることができ、
またその重みも理解できるのではないかと思います。
岩岡さんと僕の間のコミュニケーションも、
基本的には、(極端な言い方をすれば)誤解の上塗りで継続されているのだろうと思います。
相手の言った(書いた)ことを、自分にとって理解しやすいように(あるいは都合の良いように)解釈しながら・・・です。

でも、単なる誤解の上塗りにしては、「通じている」感が大きすぎる。
・・・そう感じた時に、(また大袈裟な表現かもしれませんが)生きていることの奇跡を実感できるのではないかとも思います。

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