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言い当てられたい

世間一般と自分とのズレについて。整理も兼ねて。

苦しみとは何か。癒しとは何か。
よくある自己啓発本の目指すところは、
不幸にも失ってしまった意味を回復する、だと思う。

“こういう考え方をしたらどうですか?”
“視野がせまくなっていませんか?”など。

世の中や人生に価値を見出せなくなったのは不運な出来事か
もしくは自分の視野の狭さがもたらしたものであるから、
それを調整しようと。

でも僕がそういう本を読まないのは、
価値を見出せなくなるのは不運なことだが、
それは人間として当然いたるべきものではないかと思うから。
“価値がない”という前提で考えたい。

でも僕も中途半端ではあった。

僕の頭の中を占めるのは、“僕はこれでいいのだろうか”という思い。
これは結局、フラフラ足下が覚束ないのが嫌で、
何か支えとなるようなものが欲しいということ。
「正しい」「間違っている」ととにかく言い当てられたい。
とにかく言い当てられたい。そうすると自分の立ち位置が定まるから。

でも最近思うのは、
どんな立派な人から“こう考えればいいよ”と言われたところで、
僕の芯には響かないだろうということ。
外側からどんなものを与えられても、こればっかりはどうしようもない。

僕の求道(?)のスタンスは間違っていた。
“僕はこれでいいですか?”ではない。
これでいいも何も自分の思うところをするよりしょうがない。
壁に当たるまで進むしかない。
今までのようにこちらから壁を探して事前に回避していたのでは駄目だ。

最近自分は色んなものを押さえつけていたんだなと思うことがある。
自然に任せて出すべきものを押さえつけている。
ただこの自然というのが本当に難しいものではある。
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人生観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/07 22:06
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