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“・・・。で、何?”

誰にでもあることだと思う。

ずっとやりたいと思っていたことができるようになったり、
ずっと欲しかったものが手に入ったりしたとき、
嬉しさでいっぱいになるが、
やがてはその波が引いていく。

手に入らなくて愚痴を言ったりした。イライラした。
でもやっと手に入ったと思ったら次はなぜかむなしくなった。
それを求めてきたこれまでは一体何だったのだろう。

この感覚は一体何なのだろう。
誰にでもあるこの感覚。

平和も健康も自由も素晴しい。
人間は大いにそれを求めるべきだ。
でも同時に人間にはそれをもって満足とさせないものがある。

平和である。健康である。自由である。
“だから何?”“それで終わり?”
必ずこう言う声が誰の中にもある。

皆それぞれ各々異なった境遇を生きている。
そのバラバラな人間達が何をもって
「同じ人間だ」と言い得るか。
どの一点でそれを押さえるか。

一つは人間は皆死ぬということ。
そしてその死の前では皆無防備であること。
絶対的な受身的存在としてあるという一点。

もう一つあるとするなら、
前述のむなしさではないか。
誰もが“これで終わり”と言い得ないものを持っている。
人生に満足するものを持ちあわせていない。
そういう存在として生きている。

そこを押さえないで「皆同じ人間だ」と言ってもただの理想論に終わる。

“だから何?”この声はどこから出てくるのか。
何がそう言わしめるのか。
自分という人間はどこにも足場を持てない存在なのではないか。
そしてだからこそそこに唯一の「人間」としての足場があり得るのではないか。
なんとなくそんな風に思う。

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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/11 21:28
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