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右側の左

最近気が付いた自分の中の大きな矛盾。

例えば、左に理想があるとして左に向かって出発したつもりが
実は正反対の右方向に進んでいた、というもの。

目標点が左側にあるのだし、左を目指して歩いているのだから、
当然自分はもう左側を歩いているのだと自然と思い込んでいた。
でも、実際は真逆の極にいた。

何にしても当てはまる。
誰よりも大乗を願ったはずが誰よりも小乗的であったり、
情と理の和合を信じたはずが理のみの追及になっていたり、
無我を求めたつもりが誰よりも自己に固執していたり。
いろんなことに当てはまる。

理想を宣言すれば自分はもうそうなったのだと思い込む。
これは怖い罠。

自分は愚かだと宣言すれば、その否定が肯定になる。
宣言した自分、自覚した自分、誤りに気が付いた自分になり、
それそのものより一段上へ昇ったつもりになる。
改めたつもりになる。

口では愚かと言いながら心底ではそうは思っていない。
そう思っていると思い込んでいる分だけタチが悪い。
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「自己」を見つめる | コメント(4) | トラックバック(0) | 2013/04/17 20:31
コメント
そう思っている分だけタチが悪い
これは、本当に耳が痛いです。

そうやって自分で言うことによって、
相手に反論させないようにしている面も、あるような気がします。
ただ、こういう話を誰かとしていると、
「そこまで考えすぎるな」
と言われることも少なくありません。
その裏には、
「どうせ大してわかってないくせに、あまり何でもわかろうとして結論を急ぐな」
という意味合いがあるようです。
確かに、「今、この場で」結論を出そうとして考えてしまうことが多いのは事実です(僕の場合)。

言い訳かもしれませんが、
「気づいていないよりはマシ」と思いつつ、
「そう思っている分だけタチが悪いけど、つまり僕はタチが悪い奴なんだろうな」
と、ある程度受容するしかないのかな、
というのが最近の心境です。

見方によっては、汚い大人になったのかもしれませんけど。
タチが悪い
相手の批判を先取りしているということですよね。

「そう思っている分だけタチが悪いけど、つまり僕はタチが悪い奴なんだろうな」
この「つまり」以下が中々曲者だと思います。

僕の場合、「僕はタチが悪い奴なんだな」と思っても
それはうわべだけの話で、実は心の底ではそう思っていない自分がいます。
どこかで自分を肯定しています。
前に
こんな記事を書いたことがあります。
もう1年も前ですね。
少し前だった気がしたんですが、最近めっきり記事を書かなくなったからかもしれません。
http://ameblo.jp/bursted-dam/entry-11222346670.html

どこかで自分を肯定するのは、当然のことなんだろう
という気もするんです。
「自分を肯定していること」をそもそも意識しすぎなのかもしれません。
一度そのことを理解したら、あとはごく当然のこととして受け入れる。
そこまで到達してないから、クヨクヨ考えてしまうんじゃないか、
とも思うわけです。
なぜ否定を
確かに肯定することも必要だと言えますね。

僕らは明日も世界は存在するだろうと思っているからこそそれなりに生きていけます。
もし、「明日も世界があるなんて確証はどこにもない」と本気で思ってしまうと、
なかなか普通には生きていけなくなりそうです。
やはり何の根拠もなくとも世界を肯定する心は必要そうです。

ところで、僕は何かの理由があって
とことん自己否定をしていこうというスタンスを取っているつもりでした。
そうすることで真実に近づけると思ったからです。
ですがよく考えてみると、
自己否定する方が本当に真実に近づけるのかということはよくわかりません。

最近、自分のこれまでの態度を反省することが多いです。
この問題もその一つです。
また考えてみます。



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