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私はお客さま

どうせ生きるなら苦しむよりも楽しく生きたい。
笑って過ごしたい。
現に今自分は生きているのだから、
それをなるべく充実したものにしたい。
良いものにしたい。

そういう意見がある。
でも、諦めがないか。
生の一番初めの部分で妥協している。
ような気がする。
それでは生死の奴隷ではないか。

生死というこの事実は何をどう頑張ってみたところで変わるものではない。
自分が意志を持つ以前から厳然と存在していたもの。
だからもうそれは諦めて前を向こう。
受け入れてこの瞬間を大切にしよう。

―納得できる考え方だ。
惹かれもする。勇気も与えてくれる。
現に僕もそれを目指していた。
でもこれでは主体性がないではないか。

人間の真ん中が空虚なのは最初に自己を譲歩したからではないか。
譲りたくない。
生が自分よりも先にあって、それをどうこうするのではなく、
まず自分が、生きる。
自ら生き、自ら死ぬ、といえるものを掴みたい。

生と死は己の意志とは関係なく向こうからやってくる。
こちらの思惑の範疇を完全に越えている。
だからまずはそれを受け入れて、
その上でそれをどういうものにしていくか、
良いものにするか、悪いものにするか、それは自分次第である。

そう言う人はいる。
それは確かに正しい。
でも僕はそれが嫌になった。

・・・・・・
ふと気が付けば自分は電車に乗っていた。
いつの間にか発車し、発車した以上はやがてどこかに行き着くのだろう。
周りの人もそう言っていたしそうなのだろう。

さて、これから何をしよう。
終点に着くまでの間、何をして過ごそう。
車内を走ってみたところで到着時刻は変わらない。
それなら、もっと有意義なことをして過ごそう。
トランプでもするか。いや、携帯ゲームでもするか。
寝て過ごすのは時間の無駄遣いだ。
そうだ、どうせやるならもっとためになることをしよう。
勉強でもするか、思索にでもふけるか。
いや、やはりここは人と触れ合おう。
見知らぬ隣人と話そう。
ついでに何か善いことをする機会があれば積極的にしていこう。
ああ、それでも時間が余ったらどうしよう。
そのときはやはり寝て過ごすのもありか。

・・・・・・
これは乗客の思考。
客であって、主人ではない。
ただ運ばれるのを待つだけの人。
「待ち時間」をどれだけ有効に使おうと、
またどう使うべきかを議論しようと、
ただ運ばれているだけであることに変わりはない。
客の発想でスタートしたからだ。
「客」としてどうすべきか、と。
運転席には座ろうとしない。
たとえ言うことをきかない代物であったとしても。

無意識の内に主人であることを諦め、
己が客でありながら客であることに気が付いていない。
客として見る車内の景色と、運転手として見る車外の景色は全く異なるものだろう。
客が「車外」と思って見ている景色は実は「車内」の景色に過ぎないのだ。

待ち時間をどう使うかについて優れた見識を持っている人を尊敬していた。
とりわけ「正しい人」「下卑てない人」「短絡的でない人」を。
でもただの客であるなら、いかに優れた人物でも
別に偉くもないしカッコ良くもない。
たとえそれが聖人であったとしても。

客にも品格の差はあるだろう。優劣もある。
だがそんなことは大したことではない。
「客」とひとまとめにしてしまっても差し支えはない。
なぜなら己の人生だというのに自己を譲歩してしまったのだから。

これは客への断罪ではない。
むしろ自分自身の懺悔だ。
懺悔したからといって罪が過去の罪となるわけではない。
今の罪であり続ける。
下界を見下ろしてその俗っぽさを嘆いているのではない。
下界の中にいて、その中の聖も俗も共に罪人であることを懺悔している。

いつかは「自ら生まれてきた」という冗談を言えるくらいにはなりたい。
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人生観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/08/04 16:01
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