スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

・毎晩寝るときに、ああ、面白くないと思う。
不快というのは思惑があって初めて出てくるものじゃないか。
思惑が妨げられたときに出てくる。
快であるべきだとの思惑があるから不快に感じる。
あり得ないだろうが、もしそういう思惑がなかったなら
心は不快を感じることはないだろう。

書きながらまた面白くないと感じた。
面白くないと感じる分だけ僕は自分の思惑を働かせているいのだろう。
つまずく度に自分がどこかに向かって歩いていたのだと気がつく。
歩かなければつまずかないのだから。
そうして片時も休むことなくあちこちに思いを走らせている。


・僕の体は僕であることを拒んでいない。
全力で生きようとしている。
拒んでいるのは僕という意識だけだ。


・僕は恥ばかり感じてしまう。
自分は人に顔向けできない。
人に迷惑ばかりかけている。
それを僕は呑み込んで恥にしている。
独り占め。
それが浅ましい。

誰にも見せられない秘密にする。
もちろん迷惑をかけられている本人には丸見えなわけだが、
それでも隠したいと小さく縮こまる。
“一刻も早く迷惑をかけないで済むようになる”
と誓うことで何とか“恥”の解消を試みる。

それが浅ましい。
結局自分のことしか考えていないのだ。
結局“恥”を消したいだけなのだ。

でも迷惑をかけているその分だけ実は支えられているのだ。
誰の力も借りずに一人で立てる人間になりたいと願ったが、
本当は支えてもらわないと立てないのが僕だったのだ。

自分が恩を受けるのではない。
恩を受けて立っているのが自分なのだ。
生後に恩を摂取したのではなく、恩を受けて生を与えられたのだ。

皆がどんな思いで自分を支えてくれていたか。
もちろん、いやいやそうさせられた人、完全に被害者と言える人も
あるかもしれないが、
そういう情を超えた“恩”というものを僕は皆から受けていたのではないか。
それを僕は恥ずかしいことだ、今すぐ消したいと。
本当に自分のことしか考えていない。

(やや言い聞かせながら書いた文章)
スポンサーサイト
「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/11/23 16:18
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。