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「仏まします」1 (危険性)

こんな長い記事を書いたのはこのブログ始まって以来だ。
普通文章と言うのは結論部分が最も大事で、力も入る。
だが今回書いたこれは、思いついたばかりのことなので
結論があやふやで頼りない。
しかも、振り返って思うと、結論よりも、
自分がずっと何を問題にしてきたのか、それを書きたかった気持ち
の方が結論を書くことよりも大きかったかもしれない、とも思う。

続きはこちら。
「仏まします」2 (感謝)
「仏まします」3 (不可解)


唐突だが
なぜ仏教は、「仏」なんていうことを言うのだろう。
それがずっと気になっていた。
「仏教」なのだから「仏」があって当たり前なのだが。

仏教のアプローチの仕方は、
徹底的に現実を見据え、その洞察から普遍的なものを抽出していこう
というものだと僕は思っている。
禅宗はとくにそうだろうが、曖昧なものは許さない、
形だけのものや神秘的なものに惑わされない、という。
だからこそ彼らの言葉には不思議な説得力がある。

しかしそうすると当然仏なんていうものは出てこない。
ひたすら現実を見つめていくのだから、そこから仏は出てこない。
「仏は」と言った瞬間に一気に話が抽象的になる。
きっと悟れば「仏」という言葉で言い表さなければならない
何かのことがわかるのだろうとは思っていたが、
それがわかる前に「仏とは~だ」と言えば
あの厳しい目を持った先達たちにきっと叱られる、と思った。

仏教に神はいない。
が、しかし「仏」という言葉を使えば、たとえそれが唯一神ではなくとも
「神」と言っているのとあまり変わらなくなる。
そんな恐れのある言葉をなぜわざわざ言う必要があったのか。
アプローチの初めに抽象的なものがあると、
そこからは信じるか信じないかという問題にならざるを得ない。
これはどう考えても仏教の矢印と正反対だ。
「現実から普遍へ」であるべきなのに「普遍から現実へ」はおかしい。
一つひとつ石橋をたたいて渡るように、
確実な足場を確かめながら歩かなければならないはずなのに、
有無を言わさず、まず信じて渡れ、
それから確かめていけばいい、というのはどう考えてもおかしいい。

「迷い―悟り」の対比、「此岸―彼岸」の対比はまだ心情としては納得できる。
その図式を通してそれを求めずにはいられない人間の姿が見えてくるから。
でもなぜ「凡夫―仏」と分けるのか。
それがわからない。

確かに仏は神とは異なりあくまでも人間で、釈迦を唯一の仏と仰ぐとしたら
仏とは「すごい人」の意を表す代名詞になる。
これならまだわかる。
だがなぜ大乗仏教はわざわざ大日如来や阿弥陀如来など
「人でない仏」を説く必要があるのか、これがわからない。

「仏性」という厄介な言葉もある。
「人間の中にある仏になる可能性」などと言われるが、
なぜわざわざ人間と仏を区別する必要があるのか。
人間の心の中にあるのなら、人間の心として扱えば良いではないか。
「とても高貴な心」を表す過剰表現として「仏」と言うのなら、
好きではないが、納得はできる。
だが、明らかに先達の言う「仏」という語は、
「超人」の過剰表現というニュアンスではない。
明らかに違うものを見据えている。あの厳しい目で。
でもそれがわからない。

仮に常人の心の中に未開発な高貴な部分があったとして、
それを目覚めさせるのが仏教だったとしても、
そこで「仏」という必要があるとはあまり思えない。
(ちなみに禅宗と真宗をかじった感想から言えば
 仏教の目指すところは、高貴な心「を目覚めさせる」ではなく、
 高貴な心「に目覚める」という感じだろうが。
 いずれにしても、危険を冒してまで「仏」という意義があるとは
 あまり思えない。
 長いが「未開発(もしくは無自覚)の尊い心」等で済む話だ。)

そもそも高貴な心に目覚めようという教えには強制力がない。
目覚めたい人、苦しくて堪らない人はやればいいのであって、
そうでない人はやる必要はない。
だからこれには救いの強制力がない。
僕個人としての宗教に求める絶対条件はその強制力だから、これでは困る。
万民に適用される普遍的な強制力がないと絶対の教えとは言いたくない。
それでは薬かサプリメントの仲間でしかない。

余談だが浄土教は阿弥陀如来を信仰する教えだが、
その阿弥陀如来が「万民を救う」という願いを叶えるために仏になった
(空想上の)人で、
仏教というものがもし「やりたい人がやる」方式のものだったとしたら
万民を救うと言われた阿弥陀如来の心とは反する。
「求める人は必ず救う。でも求めない人のことは知らない。」が
阿弥陀の精神だとはとても思えない。
「一人残らず救う」というのはそんな条件付きのものだとは思えない。
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仏教風景 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/05 22:47
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