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今日も無駄なことをしています

最近、漢字検定の勉強を始めた。
別に試験を受けるところまではいかなくてもいいと思っている。
ともかく、生活に新しい風を招き入れて、
ちょっとずつでも変えていけたらと思っている。

思えば、僕はここ何年も楽しいと思えることや趣味に没頭した記憶が
ほとんどない。
いつも“そんなことをしている場合じゃない”という言葉が聞こえたからだ。

楽しいことをしたところで、そんな感動は死ねば消える。
死ななくとも何日か経てばそれだけで消える。
何かの業績を残したところでそれが何だというのだ。
例え地球の消滅を引き延ばすという人類にとって最大の貢献を為したとしても、
地球など宇宙から見ればとるにたらない存在だろう。
地球がなくなろうと宇宙は平然と存在していそうに見える。
“そんなことはない、どんな小さなものも全体を動かすかけがいのない歯車なのだ”
という見方もあるだろう。
自分という存在が宇宙全体を動かしている大切な歯車なのだと。
だが、そもそも宇宙が存在していることがいいことなのだという実感が
僕にはない以上、自分が宇宙にとって大切な歯車なのだからと言って、
自分を誇ることはできなかった。
もしかしたら意味のないものの存続や運動に加担しただけの
無駄な存在なのかもしれないのだから。

だからまず、宇宙良し、自分良しと言えるものを明らかにしなければならなかった。
自分の元には人類が、人類の元には地球が、地球の元には宇宙が、宇宙の元には○○が、
○○の元には△△が、と遡っていって、もうこれ以上遡れないという“それ”、
その万物の中心に立ち戻らずに、その末端だけを肯定していてもむなしい。
そのブラックボックスを明らかにしないまま、
その都度の事、その都度の心に一喜一憂している暇はなかった。
とても趣味などしている暇はなかった。
一刻も早く解明しなければならないことがあるのに、
それをしなければ自分の一日が“成り立たない”という大切なことがあるのに、
それを無視して生活することはできなかった。
始末の悪いことには、楽しいことをして気分がよくなってしまうと
もう考えるのをやめてしまう。
それが何より怖かった。
浮かれに浮かれて生きている間にもう明日死なねばならないという時が来る
のを想像すると戦慄が走った。
だから浮かれている暇などなかった。楽しいとなど感じてはならないと思った。

・・・が、
僕はこの度、漢検の勉強を始めた。
こんな無意味なこと、と思いつつ。
面白いとも思えないし。
でも、僕はずっとこれができなかったんだなぁと思うと、感慨深いものがある。
こんな簡単なことが僕はずっとできなかったんだ。
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「自己」を見つめる | コメント(4) | トラックバック(0) | 2014/01/25 15:05
コメント
はじめまして
ブログにコメントして頂き、ありがとうございます!

私も、毎日、無駄なことばかりしているのかと思っています。

ただ、ここ2,3年前から始めた、朝の勤行(お経です。)、SD仏像彫り(SDガンダムからのパクリです(笑)。)には、無駄を感じていません。

この時間は充実しています。

「もしかしたら意味のないものの存続や運動に加担しただけの無駄な存在なのかもしれないのだから。」の部分、私もよく感じます。

私は、家族にとってはいろんな意味で大事な存在だと思いますが、社会から見れば、ただのゴミであるかもしれません(笑)
コメントありがとうございます
こちらに来ていただき、ありがとうございます。

勤行とSD仏像彫りですか。それはすごいですね。
仏像彫りというのはご自分で下絵を描いて彫られたりされているのでしょうか?

僕も仏教には興味があるんですが、お経を唱えたことは一度もありません。
僕は禅宗と浄土真宗に興味があって、坐禅も念仏もやったことは一応あるのですが、
恥ずかしながら長くは続きませんでした。

「仏教に興味がある」という言い方をすると「ただの興味本位か」という印象を受けますが、
僕自身としては興味本位ではなくそれなりに本気でやっていたと言いたい気はします。
ですが「行」というと何もしていません。
恥ずかしながらそんな中途半端な態度です。

とにかくこの記事でも書いた「すべてがむなしい」というモヤモヤに
答える何かがあると思って勉強(?)を始めました。

仏教にも色々あると思いますが、知的想像家さんは仏教のどういうところを学ばれているのでしょうか?
差支えなければお教え願います。
仏教
私は社会人になってから、心理学に興味を持ちました。

人間性心理学、トランスパーソナル心理学などとと言われる分野のものです。

トランスパーソナル心理学は、言うならば西洋思想と東洋思想の融合のような感じなので、もともと仏教的な考え方が好きでした。

仏教的な考え方は、柔らかく暖かい感じがしますので。

私は、特に知識と言えるようなものは持ち合わせていません。

なんというか、知識よりも自分がどう思うか感じるかの方を優先しています。

知識は至って中途半端です。

勤行と言うと大げさですが、家にある仏壇に向かって、仏、先祖、親に対して感謝の意を込めて、念仏を唱えます。

生かしてもらってありがとう、というような気持ちを持ちます。

もちろん、いつもそんな気持ちになれる訳ではありません。

嫌なことや気になることがあると、そういうことが自然に想起されてしまいますからね。

宗派は、浄土真宗(お東)ですが、小学生のときにお寺に教えてもらいました。

勤行を始めたのは2,3年前からで、本山でおかみそりを受けてからです。

お釈迦様の弟子になるというと大げさな言い方ですが、法名をもらいました。

勤行は、始めは違和感がありましたが、毎日やっていると、やらないと逆に違和感が生じます(笑)

私の場合、仏教は生きることの一つの教えであって、生きることの裏付けとして仏教を見ればいいのではないかと思います。

まともに仏教を学んでいるわけでもなく、自分が心地よくなる話を選んでいると言うだけかもしれません(笑)

生きていくためには、極端な言い方をすれば幸せを感じるためには、知識も大事かもしれませんが、自分がどう感じているかの方がもっと大事だと思っています。

すみません。いろいろ書きました。

悩みが多いから仏教に惹かれたということかもしれません。

生きていることが辛いと感じることがあります。

特に仕事をしていると(笑)。

仏教と共に毎日悩み続けていくようです。

ちなみに、SD仏像彫りは、まだまだ本に書いてあることの真似事です(笑)。これからです。
人に惹かれて
丁寧にコメントして下さり、ありがとうございます。

僕も実は大学で臨床心理学を専攻していましたので、そちらでも共通するところはあるかもしれませんね。

僕も人間性心理学は結構好きでした。
学生当時没頭していたのはユング(というより河合隼雄先生)と(一応人間性心理学に分類される?)実存分析のフランクルです。

最初は好きで始めた心理学ですが、やっていく内に人生とは何かということが気になってきて仏教の本を読むようになりました。

>まともに仏教を学んでいるわけでもなく、自分が心地よくなる話を選んでいると言うだけかもしれません(笑)

おかみそりまでお受けになった知的想像家さんがそうだとしたら僕はもっと立場がないです(笑)
心理学の河合先生が好きだというのもそうですが、僕も知識は全然なくて、いつも法話とか講演集とかの本を読んでいます。
思想というよりも人に惹かれて入った感じですね。
僕も浄土真宗のお東さんの方の法話などよく読んだりします(主に故人です)が、
すごいと思う方がたくさんいらっしゃいます。

僕はずっと「とにかく悟り、とにかく悟り」という感じでしたが、
最近は、仏道なり何なりとにかく一生を懸けて「道」に従って生きていくのが大切なのだと思うようになりました。

「自分がどう感じるのかが大事」ということ、覚えておきます。
よければまたお立ち寄り下さるとありがたいです。

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