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心の檻

・僕は、あたかも簡単に、自分のここが駄目だという。
でもそれをどうにかするということは容易なことではないのだ。
皆本当につまらない問題に何年も何十年もかかずらっている。
でもそれは確かにつまらないことだが、容易にどうにかできるものではないのだ。

・するべきことはありすぎるほどにある。
何もないということは決してない。
しかしそれは神に鞭打たれるから仕方なくやるのではなく、己の意志でやるのだ。

やらなければならないことができない。
それは本当に辛いことだ。
本当に人生というのは不思議なもので、
人生はこんなに些細なことで溢れているのに、
その些細なことの一つひとつが言葉にできないほどに奥が深い。
それはその分だけ人間の情が深いということでもある。
どんなにちっぽけな悩みでもそれは悩むには十分すぎるほどの悩みなのだ。

・最近なぜ行き詰っていたのかわかった。
また自己中心的なものの見方をしていた。
運命とか宿命とかいうもの、あるいは神の意志など、
そういうものを排除していく見方。
自分に考えられ得るものが世界のすべてだと思ってしまう。
世界を自分の見たいようにしか見ない。

神が自分を見守っていてくれていると思うのはフェアではない。
自分を慰めたいからそういう考え方をしたがるのだ。
だから僕はそういう考え方はしない。
確実で絶対の根拠のあるものしか土台にはできない。

そうだった。
かつてそう考えて行き詰っていたのだった。忘れていた。
もしかしたら神は僕を導いてくれているかもしれないのだ。
別に本当にそうなのかどうかはどうでもいいのだ。
そうやって心を開くことが大事なのだ。
自分の心の中にある檻を破るのが大事なのだ。
その檻のことをこの間は唯物思想とか言ってみたが、
それは仏教でよくいうところのはからいとか分別ということになるのだろう。
自分の中の理を絶対の理と思いこみ、自ら世界を住みにくいものとしてしまう。
理に屈服してしまっているのだ。
しかしそれでは理が人間の仮面を被って生きているようなものだ。
本当に生きているのは誰か。
本当に生きているのは神だろう。
自分の内側にある自分を超えたものに対する信頼だけは手放しては駄目だな。
これを手放すとすべてが狂う。
が、容易に手放してしまうのもここ最近で体感済み。
あとはそのときの勢いで自ら命を絶ってしまうことだけはしないように。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/03/20 15:42
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