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代償

世界というものを区切ってしまっている。
期待すべきものは何もないと。

何かを信じられる人は歩む力も強い。
“これをしたい。”
“これをしさえすれば。”
そういう未来に対する期待は、今を生かす原動力になる。

僕は世界には何も期待できないと思った。
“これをしさえすれば自分は幸福になれる。”
“この妨害さえなければ自分は幸福になれるのに。”
“この点さえ改められればもっと楽に生きられるのに。”
そうやって夢を見ることで現実を誤魔化して生きていこうとする。
夢を見続けの一生なんて嫌だし、間違ってると思った。
だから夢など見ないと誓った。
それで何にも期待できずどこにも歩んでいくことができなくなったとしても
やむなしだと言い聞かせた。
このとき世界へと向かうベクトルが内向していたのだ。

“どこにも思いを飛ばさない。”
“幻に惑わされて浮か浮かと家を留守になんてしない。”
“大事なところ、押さえるべきところ、そこからは絶対に足を踏み外さない。”
自覚のない孤独な闘いだった。

非情に徹し、理のみを追求。
正しくないものを当てにすることはできない。
“世界を主観で切り取るな。”
“世界は自分のために成り立っているわけではない。”
“世界が自分の成長、幸福を願っているなんて根拠はどこにもない。
 どこにもないにもかかわらず、そう受け取るのは勝手な身びいきだ。
 そう思わずには生きていけない弱さの表れだ。
 そんな夢に頼ることなく自立できる人間になりたい。
 世界を都合の良いように利用しない人間になりたい。”

・・・・だが、そう言っている自分自身が世界を区切って見ていた。
自分の見えるものに限定して見ていた。

確実なものが欲しかったのだ。
だが求めれば求めるほどにそれは遠ざかった。
エゴばかりが膨らんだ。

どこにも心を差し向けることができない。
未来にも世界にも自分自身にさえも。
これは一種のトラウマだろう。
本当に安全なものでない限り心を預けることができない。
「この世界は頼りにするにはあまりにも心許ない」
世界の真相を目の当たりにした瞬間、心が縮こまってしまった。
“自分でなんとかしなければ。”
それが孤独の始まりだった。

僕には気力がないのではない。
気が流れていく先が見つからないから力が発生しないのだ。
川の川たる所以は流れることにある。
流れのない川は池と呼ぶ。池は静止。
水の行き来の全くない池はやがて濁り澱んでいく。
流れ出ずに溢れかえった気は自らの身体を傷つけ始める。

どこにも向かうことができなくなってもやむなしと思ったが
その思いは確実に僕から生きる力を奪っていった。
イキイキと生きる人を見るとたまに羨ましくなるときがある。
イキイキとはしていなくても、例えイヤイヤであったとしても、
毎日するべきことがあると信じ、生きねばならないと信じている人を見ると
堪らなく羨ましく感じ、切なくもなる。
失った代償は大きいと最近は折にふれて思う。
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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/03/21 17:33
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