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すべて自業自得なのだとしたら、これは不幸もしょうがないな。
甘んじて受けるしかない。
何の不純もない真っさらな状態が自分の標準の状態で、
そこに意味もなく不幸が訪れているのかと思っていたが、
不幸も不調も、すべて自業自得なのだ。
だから不調も不快もあってはならないものではなく、背負うべきものなのだ。
自分で招いたものなのだから。
宿業なのだ。
無くなれと願うのは無責任だ。
これも僕なのだから。
体の不調も不快も、ずっと叫び訴えていたのだ。
それを消すとか治すとかではなく、受けてあげないと。
それだけの恨みなり訴えがあるなら、それを受けてあげないと。
それだけのことをしてきたのだから。

何もないのが当たり前なのではない。
生きていればそりゃまずいこともたくさんする。
そしたらそれを受けてあげないと。
すまんかった。
幸い僕の訴えは命を奪うほどのものではないかもしれない。
でも仮にそれのために命を落とすことになろうとも、
僕は僕のためにそれを謹んで受けねばならない。

人間というのは真っさらなものではなく、経験の塊なのだ。業の塊なのだ。
一度の経験は一生涯ついてまわる。
それが良いものでも悪いものでも。
過ちの清算なんてできない。
どれだけ薄くすることはできても、なかったことにはできないのだ。
そこにいたという痕は残る。
それでもって現在が成り立つのだ。
すまんかった。本当にすまんかった。一生背負っていくよ。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/10 20:42
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