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ご機嫌伺い

・外側に合わせるというのは神のご機嫌伺いなのだ。
それは言ったら悪いが神の奴隷なのだ。
自分の存在は神次第。
でもそれじゃ遠い。神が遠い。

・神に奉仕したら気持ちいいだろうなと思う。
がそうするとまた自分は善人、選ばれた人間だと思ってしまう。
だから奉仕もそこそこにしておいて気持ちよく感じたら
すぐ手を引くようにしている。
また愚を演じてはいけないから。
すぐ調子に乗るから。

殊勝な心がけだ。
でも今は別のことを思っている。
神様のご機嫌伺いなのだ。
これで正しいですかと。僕はこれで合ってますかと。
だってどういう立ち位置がいいのか分からないんだから。
外れるのが怖いのだ。
でもわかるよね。
それは奴隷だよ。

信仰者になりたいけど
本気でそうすると信仰者ではなくなってしまうから、手加減する。
調子に乗らないように距離を調整する。
でも、ご機嫌伺いをしているのははっきり言って、神様が遠いよ。
真の信仰者は手加減なんてしない。
神様に許してもらうために生きたりはしない。
正しくあるためになんか生きたりしない。

楽しいと思うこと、気持ちのいいことをしてもいいのだ。
ずっと僕はそれがひっかかっていたのだ。
何をなすにも戒めの鎖があった。
失敗しないように。失敗しないように。
真面目だった。あまりにも真面目だった。哀れなくらいに。
でも失敗してもしなくてもどちらでもいいのだ。

・残念ながら自分のしたいようにするのが神に適う生き方らしい。
その点は僕は下の下だ。
だが、自らで自らを傷つけるの罪を知る道は歩いてきた。
そこに僕の道があったのであり、そこで活かせるものもまたあるだろう。

・僕は胸に楔を打ち込んでいた。
楽しんではいけない。幸せになってはいけない。
自分の人生は滅茶苦茶にしないといけないんだと。
そういう誓い。
残念だけどこういう考え方もできるんだよ。
あの出来事のせいじゃない。
僕は制限が欲しかったのだ。
無が怖いから。
制限が欲しいからあの出来事なり何なりを引っ張ってきた。
ともかく今こういう状況に落ち着いた。
落ち着いてるだろ。
心の投影なのだ。
僕が欲していたという面もあるのだ。
それは酷なことだけど。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/11 20:34
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