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気分との付き合い方

ある人の受け売りだが、
調子や気分がいいときはなるべくそれを広げるようにし、
逆にそれらが悪いときは、ここが我慢のしどころだ、
と言い聞かせ、次の流れが来るのを待つ。
最近そうしている。

気分の波というものは本当にある。
朝起きてなんとなく調子がいいときと、
なんとなくだるいとき。
気分が晴れないと目に入る景色も晴れない。

眠るのが遅かったからとか、疲れが抜けていないとか、
まあそういう理由は色々あるだろうけれども、
ともかく、今日は気分がイマイチだなと思ったら、
「ここが我慢のしどころだ」と言い聞かせる。

妙な詮索はしない。
あれが間違っていたのだとか、
最近調子が良くなったのにやっぱりまだいけないところがあるのだとか、
そういうのは特によくない。
単に流れの問題としてじっと我慢する。
そうしてればちょっとしたことでも今ふっと流れが変わったなとか
わかるときがある。
そのときはなるべくそこに焦点をあてるようにする。
陰鬱なものとはなるべく手を切るに限る。

といっても、無理やり消滅させようとするべきではない。
そこが難しいところ。
じっと我慢。
やりたいようにやらせてあげればいいのだ。
その内流れが変わる。

話は変わるが、怨念について(笑)
最近思うのだが、怨念(怨霊)のかわいそうなところは、
自分で自分の非を認めているところ。
本当は消えたいのだ。
でもそれを認めるわけにはいかない。
消えてたまるか。この恨み晴らさでおくべきか・・・。
消えたいのに消えてたまるかとしがみついている。
そのジレンマ。
本当は自分が悪いとわかっているのだ。

普通感情は発散すると消える。
でもそれが何らかの理由で発散されないで残ると怨念となる。
おそらく人間というのはそんな感情のカスを相当量溜めながら
今日も暮している。

発散されずに留まっている感情は、不自然なもの。
自然の摂理にそむくもの。
あってはならない、間違ったもの。
だから、成仏すべきものなのだ。

向かってくる恨みに取り合ってはどちらのためにもならない。
「本当は君は成仏したいんだろう」とそこを見抜いてあげること。
その存在の根っこを見抜いてあげること。
前面に出てくる恨みに惑わされないで、
「己の非を知っている」そこに寄り添うこと。
要はやりたいようにやらせてあげればいいのだ。
自分としては、自業自得だとしてじっと我慢して受け切る。
自分の中にそれがあるというのも一つの縁なのだから。
そうしていればその内消える。


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人生観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/05/02 20:12
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