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実は僕は芸術家だったんです

最近、嘘を言わない、本音で話す、ということを考えている。
だから、そういう記事を書いてみた。
でもその言葉が嘘っぽかった。からボツ。
書きたいという衝動が湧いてからしばらく時間が経ったからかもしれない。
そういうときはどうも説明口調になる。
今もそういう衝動のないままに書いているわけだが。

そこで書きたかったっことを要約すると、
人間は主体性を失っている、だからもう一度それを取り戻さなければならない、
というようなこと。
まぁ、堅いですな(笑)

他にも、人生とは芸術活動である、創造活動である、ということを書いてみた。
これもボツ。
衝動のないまま書くとどうしても嘘くさくなる。
「自分の考え」を「誰か」あるいは「自分」に発表することになる。
この「モノ感」がたまらなく嫌だ。
モノの受け渡しはやめたいものだ。
つまりはそれが「嘘を言わない」ということになるのだが。

「相手」や「自分」を認めてしまうとどうしても物の交換になってしまう。
会話のキャッチボールというのがそう。ボールの交換。
それよりも、「叩けば響く」という世界の方がいい。
相手も自分も認めず、世界ありのままでありたい。
世界の中で世界の創造に参画したい。
そこに「外」も「内」も溶ける。
「受動」も「能動」も、「運命」も「意志」も。

世界は確かに美しい。でもそれだけでは芸術ではない。
人間を介して初めて芸術になる。
世界はいつも動いている。どんなときも活動を止めない。
でもそれだけではただの自己完結的な活動にすぎない。
それが人間を介することによって芸術となる。
一旦有限を経由することによって無限が無限を知る。
それが世界の意志。
それを人間の側からみると、
生きるとは芸術活動であり創造活動なのだ、ということになる。

常に何か創っている。巧拙係わらず。
皆芸術家なのだ。大半が「芸術センスに乏しい芸術家」であったとしても。
文字の芸術家であるところの書道家だけが字を書くわけではない。
字はみんなが書く。みんな下手な書道家。

結局、芸術的美とは何だろう。
まさか自分がこんなことを考えるようになるとは夢にも思わなかったが。
芸術的な美とは自然の美が人間を通して自然のまま現し直されたものではないか。
言いかえれば、人間臭さを極限まで排除した、
混じりっけのない自然の表現。
いかに自分の「変な癖」で自然の邪魔をしないか。
だから終わりがない。
削ぎ落とすことではあるが、それは自由になっていくことでもある。
大体、個性というのものは自分を縛るものだから。
「こういう人間」観念の中から出られなくなるし。

この間宮沢賢治を引用して、それから気になっていることがある。
それも書いてみたが、やっぱりボツ。
身の丈にあってないことを書くのはいいのだが、嘘をついた感には耐えられなかった。

まあ、大体こんなこと。
賢治のあの「素直さ」「純粋さ」はどこからくるのか。
単に心がきれいだから、という問題ではないだろう。
賢治は、僕で言うところの「嘘を言わない」を徹底して
試行錯誤しながらああいう文章を書いていたのではないか。
あの気取りのない自然さは、相当苦労しながら出していたものではないのか。
彼の何がすごいかというに、心がきれいとかそんなことじゃなくて、
自然ありのままを出すテクニックに長けていたところではないか。
相田みつをさんにしても、
あの気取らない文字を書くために何回も書き直しをしていると確か言っていたし。

おそらく芸術家にはそういう自覚があるのだろう。
歌手にしても、自然の風、空気の振動などのただの音を、
自分の身体を通すことによって芸術に高めている。
いい声というのはよく身体に響かせて出す声なのだろう。
身体に力みがあったりするといい声にならないと聞いたことがある。
いかに響きの邪魔をしないか。その精進の道。

今朝ふっと思ったのだが。「童心」のいかに大切なことか。
大体、社会に合わせて仮面(という嘘)を被っていると
段々苦しくなってくる。そういうときは童心がない。
自分の心の声を聞いてみればわかる。
「ああしなければならない」「こうしなければならない」
それは外に合わせようと必死になっている「大人の声」だから。
世界が楽しくてしょうがないときはいつも「子どもの声」。
僕は男性だから女性のことはわからないが、
男性が大体社会で苦しくなっているときは男色の強い声(変な意味じゃないですよ)。
心を緩めることができたり、自分の中の幼さだったり間違いを許せることが
できているときは、女色が混じっている。
大体「すべてを受け入れる」のは母ですからね。相場が。
そういう世界でのみ弱音を吐露できる。
が、それは外に探しにいかなくても内に既にある。
この声をどれだけ大切にできるか。


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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/05/11 16:44
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