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自分一杯に手を伸ばす

ワガママとノビノビの違い。
どっちも自我を大きくすることのように思える。

我が儘は自分の輪郭、世界との接触面が分厚いイメージ。
自分の皮が厚い。
常にけんか腰のイメージ。
呼吸で言うと吸う息にばかり気が行っている。膨らむ肺。
「自分ですけど、何か?」というイメージ。

それに対して伸び伸びのイメージ。
ムラのないイメージ。
我が儘は世界との接触面の密度が濃いが、
伸び伸びはどこの密度も同じでムラがない。
力一杯伸びをした後の「ふぅ」という脱力。あのイメージ。
力が均等に分散される。体の隅々にまで気が行き渡る。
緊張からの解放。
そう、我が儘からの解放が伸び伸び。
我が儘によって無理やり広げられていた自己の枠が、
緊張から解放されて伸び伸びすると、「自分の大きさ」に戻る。
自分の呼吸に戻る。それが自然体ということ。

自分より以上のものを求める人にとって「自分」という枠は
枷であり、煩わしいもの。
自分の枠に収まっていられる人にとって「自分」という枠は
温かく包み込んでくれる毛布のようなもの。

伸び伸びとは自分の外側に向かって手を伸ばすことではなく、
自分一杯に手を伸ばすこと。
それは自己にくつろぐということ。
自己にくつろげない人が自己の外に安心を求める。

ではどうしたら自己にくつろぐことができるのか。
神に許されたときに初めて自分は自分であってもいいと思えるのだろうか。
そんなことはない。
伸びをしたら自然と身体が脱力するように、
我が儘が過ぎればいつかつまずき、脱力することになる。
勝手にそうなるのだ。脱力しようとなどしなくとも。
そのことを知らない人間などいないだろう。
つまずいたことのない人間などいないのだから。
人はなぜ我が儘の限りを尽くすのか。
それは伸び伸びするためだ。
そのために生きてるとさえ思える。

自己の我が儘を無理やり矯め直そうとすることはない。
いつかこけるのだから。
その「流れ」を信頼すること。
矯め直そうとしようとも、しなくとも、無理のあるものはどうせいつかこけるのだから。
間違いを恐れることはない。間違いのあるものはどうせこけるのだから。
それでもなお自らを「正そう」とするなら、それは「申し訳程度」だ。
それは誰への言い訳?
誰の顔を窺っている?

無理のあるものは必ず倒れる。
人間に限らず世界のあらゆるものはそうなっている。
溜まった落ち葉によって塞き止められた小川の水は、
力を溜めると、やがて堰を破り再び流れ出す。
あるいは、重みに耐えかねしなった枝からドサッと落ちる雪。
その自然の美しさ。
その自然への信頼。
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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/06/06 20:44
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