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それが正解

正解だとなぜわかるか。

自分が正しいと思う。
・・・だけでは、「自分が間違っているのかもしれない」という疑念がついてまわる。
「正しいのだろうか」「正しくないのだろうか」という二つの極に引き裂かれる日々。

そうでない正解は。
「正・誤」以外に「純・雑」「自然・不自然」がポイントになる。
無理がない。だからそれが正解。
「無理がない」を以て正解とするのではなく、
無理がない=正解。

最も純粋。だから正解。
それ以外が不純だとわかるから、それが正解。

落ち着くところに落ち着いた、だから正解。
落ち着いてしまったのだから。
落ち着きのない挙動不審な人間があっちへ行ったりこっちへ行ったりする。
いつも怯える。「正しいのだろうか」「正しくないのだろうか」。

「でもそれでは客観的な正解ではないかもしれない」。
そう言う人は自分が「客観」という視点に立って考えていると思いこんでいる。
フェアなところで勝負しないと、と。
でもまずフェアな視点にすら立てていないのだから。

「客観的に考えねばならない」というのはフェアな宣誓のように聞こえるが、
それは「客観的に考えずにはいられない」というごくごく人間じみた感情の表れである。
「客観的でなければ安心できない」という不安の表れである。
ただ安心したいという心から生まれたものなのだ。
それはフェアでもなんでもない。ただのフェアになりたいとの願望。
本当のところ、その人は客観か否かを問うているのではない。
ただ心に引きずられているだけ。
自分はそうであると思い込むことによって何とか自分を保とうとするギリギリの頼みの綱。

真に「正しいか」「正しくないか」を問うのに、その不安な心は必要ない。
「何のために正しくありたいか」「何のために正しくあろうとするか」、
それを本当の意味で問うことこそが必要。
引きずられるのではなく、自ら問う。
それこそが最もフェアな動機となる。
その動機を以って初めて人は「正しく在る」ことができる。
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「自己」を見つめる | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/06/17 20:35
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