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普通の意識状態では言えないです。

*頭の中。
多分、何言ってるかわからないと思います。
自分でも何言ってるかわかりませんから。
ちょっと精神病チックなこと言ってます。
結構そういうラインを狙っていますので。
狙うと言うのも何か変ですが。


考えねばならん、と。
考えねば成り立たんのだ。一日が。
解決に向けて何とかしていると。
もっと言えば、何かしていると思わねば成り立たんのだ。
自我が死に瀕しているから?
怖いと思ってるから?
死を怖いと思えば思うほど切羽詰まる?

言うたら自明性の闘いか。
「普通」と思うべきものが「普通」と思えなくなる。
なぜ生きるのか、当然だから。
なぜ働くのか、当然だから。
「当然」が「当然」でなくなった。
それは自我の危機。
そこで自我が取った対策は、再び当然だと思うことではなく、
「それを考え抜く」ということ。
課題を作ることによって自我を補強。
「課題を背負う自分」になる。
しなければならないことを作り出すことによって自分を保つ。
無に溶けてしまわないように。

確かに自我は常に動いていないと己を維持できない。
だが自我とは僕のことだなのだ。
なぜ僕は僕を超えたものについて語ろうとする。
僕には自我であるしか、つまり100%僕であるしかないのではないか。
いや、ちょっと待て。
「しかない」とはなんだ。
なぜまた切羽詰まろうとしている。
また急かされている。
エスカレーターに乗せられたよう。

こんなにも進まねば不安なのか。
なぜこんなに走りたがる。
多分、今の僕は人より走りに急かされている。
追い詰められたから?
それは確かにそうだ。
だが追い詰められたから、逃げるために走っているわけではない。
そんな後手ではない。
明らかにもっと狡猾な悪だくみ。
自我が死に瀕したから補強?
いやそんなんじゃない。
それすらも演出じゃないのか?
追い詰めたのは誰だ。
どこからどこまでが僕自身による演出?
どこからどこまでが僕?
いや、ちょっと待て、本当にそんな問いが「僕」に可能なのか?
この一連の言葉の中で「僕」はどうなってる。
誰の意志だ。誰の目的だ。
この一連の言葉の中で僕は確かに立っているが、しかし立っていない。
立っていないのに言葉を話す。
なぜ。
僕には僕の限界を知ることはできない。
僕という視点を外すことはできない。
僕には僕に背くことはできない。
なのになぜ背いている。
誰の意志だ。
僕は今僕には決してできないことをやっている。

他人じゃない?
でも僕ではない。
いや、僕ではないことなどあり得ない。
僕とはなんだ。
僕はやっぱり立っていないぞ。
立っていないのに確かに僕であるとはどういうことだ。
僕の主役は僕であるはずなのに僕ではない。
僕ではないが他人でもない。
他人でもないが僕でもない。
これが言葉の限界というやつか?
僕の持ち物やあるいは僕の一部に対してなら「これは幻だ」と言うことはできる。
だが、僕の口から「僕そのものが幻だ」という言葉が出てくるはずがない。
なら誰の言葉だ。
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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/07/09 21:16
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