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間違い論

なんか、間違ってたな、と昨日思った。
最近の自分が。
苦しいときというのはどこかに無理があるということだし、
きっとまた間違っているんだろうなとは思いつつ、止まることができなかった。
本当に面倒なもので、人間はこけてしまうまで止まれないらしい。
あらゆる努力が走るために費やされる。
止まろうとする努力でさえも。

そんなこんなで、昨日になって、やっぱり間違ってたなと気付いた。
どこがどう、というよりも、姿勢が。
それで、昨日はわりと平和に過ごすことができた。
自分が平和でないときは世界までも平和でないように見えてしまう。
平和を実感できるのは1年間に数日しかないんじゃないか、とか思ってたけど、
確かに、今日はもうやや平和ではなくなっている。
また走り始めている。
だから、またその内、(数ヵ月後か?)こけることになる。
その繰り返し。
その過程をあえてここで披露することになるのだが、
間違いだけを披露しても申し訳ない。
だから、ここ最近間違えていましたと、一応申し添えておく。
そこまでで1セットだから。

ただ、これがまた自分を惑わせることになっていくのだろうとは思うが、
今後の自分のために一応書いておく。

やっぱり、自分を足場にしては駄目だな。
自分を超えたものに心を開かなくてはならない。
自分を足場にしていては自分を超えたものには出会えない。
結局「こける」ということが自分の外から与えられたものであるから、
そういう意味では大いに自分を足場にして結構なのだが、
それでも、方針としては、「駄目だ」。

どういうとき、「地獄」から「平和」へ移ることができたか。
どういうとき、「平和」からまた「地獄」へ流れて行ったか。
これは完全に、「自分を超えたものに心を開いたかどうか」が鍵になっている。
神にしても仏にしても、自分を基点にアプローチしていっても永遠にたどり着けない。
それゆえ何年も苦しかったのだ。
自分を離れることができれば、途端に世界が平和になる。

だが、簡単にその「離れ方」を忘れてしまう。
今も既に見失っている。
「その間違いを正そう」という気になっているのがその証拠だ。
本当は「間違って、こける」それでいいのだ。
だが、それをよくないことに感じている。
これが一つの指標になる。
もうちょっと言ってやれば、
「離れ方」にこだわろうとしている時点で、既に走りだしている。
「ああかな、こうかな」と。
本当は「ああでも、こうでもいい」のだろうに。
正解は経験上知っている。
だが、それが本当の正解として活きてくる瞬間がほとんどこない歯がゆさ。
いや、この歯がゆさも不純なものか。
また自己完結の世界に入っている。
本当は世界は平和なのに。

この段階でなら、まだ強引に「自分を離れる」考え方にシフトすることは可能だと思う。
ちょっとコツはつかんでるから。自分を操作していく。
だた、それをやるかどうかはちょっと微妙だな。
やっぱり神棚とかお内仏があるのが一番いいのかもしれない。
シャンとする瞬間。シャンとする場所。
自分でシャンとしようとすればするほどできなくなるから。
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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/07/13 22:47
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